20年前の中越地震で何があったのか…、そして20年が経った被災地の様子をお伝えします。
2004年10月23日午後5時56分。
【松村道子キャスター】
「揺れています。新潟市中央区のスタジオも揺れています」
中越地方を最大震度7の揺れが襲いました。
【リポート】
「道路を飲み込んで、さらに民家のほうに押し寄せています」
犠牲者は68人に上り、12万棟を超える住宅に被害が出ました。
【リポート】
「巨大な岩が山ごと押し流され、道路をふさいでいます」
それから20年…大規模な土砂崩れに親子3人が巻き込まれ、男児1人が救助された現場近くには23日朝、献花台が設置され、朝から花を手向ける人の姿が。
【長岡市山古志地区に住む人】
「すごく無念だったろうなと思って」
【県外からの山古志地区に帰省した人】
「日々の生活に感謝ではないが、頑張って一日一日を生きていかなければと思う」
20年前のつらい出来事を改めて思い出す一日。そこには大きな意味があります。
【復旧工事に当たった札幌市の職員】
「街もきれいになってきている中で、忘れてはいけないのがつらい記憶」
【地震直前に現場を通った人】
「皆さんがやっぱりこうやって思い出して伝えていくのが一番大事じゃないかと思う」
多くの人が口にするのは、記憶を伝えていくことの重要性です。
【花角知事】
「万が一、地震が起きたときにどう対処したらいいのかということを、瞬時に判断できる対応力を養っていくことが必要だが、過去の震災の経験や教訓を知っておくことが非常に重要」
長岡市では午後からは「私たちの10.23を忘れない」と題した集会が開かれました。
【長岡市 磯田達伸 市長】
「改めて、きょうをスタートとしながら震災の記憶、そして感謝をしっかりと次の世代に引き継ぎ、日本に向け大きく発信しながら、あすからの長岡の街づくり、皆様と共に頑張っていきたいと思う」
この式典で防災学習の成果を発表したのは、地震当時まだ生まれていなかった小学生たち。
【児童】
「ふだんから危険な場所を考えたり、どう行動するのかを考えておくことが大切だと分かった」
地震の記憶を後世につなぐ活動が続いています。
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