「しぶとく歌い続けるわよ」と語る歌手の美川憲一さん=東京都港区で2024年5月30日、三浦研吾撮影

 今年、デビュー60周年を迎えた歌手の美川憲一さん(78)。「柳ケ瀬ブルース」や「さそり座の女」など数々のヒット曲で日本の演歌界や歌謡界をリードし、今年はロックミュージシャンとのコラボレーションが話題になったが、実はもう一つ「シャンソン歌手」としての顔を持つ。ライフワークに掲げ、「生涯歌い続けるわ」と言い切るシャンソンへの思いを聞いた。【山田泰生】

 ――シャンソンとの出会いはいつごろですか。

 ◆デビュー間もない頃、「ブルースの女王」と呼ばれた淡谷のり子さんと対談する機会があり、「私はシャンソンが好きで、戦前から歌っているの。若いからピンとこないかもしれないけど、年を重ねたらその良さが分かる。あなたもやったほうがいいわよ」と勧められたんです。それを機に親しくなり、シャンソンとのつながりが生まれました。

 1999年に92歳で亡くなられる際、淡谷先生は「私がいなくなってもシャンソンを歌い続けてね」とおっしゃられました。その言葉を受けて同年に始めた「ドラマチックシャンソン」というコンサートは、今年で23回目を迎えました。

 ――往年のスターとも深い親交がありました。

美川憲一さんにシャンソンを歌うよう勧めたという歌手の淡谷のり子さん

 ◆「シャンソンの女王」と呼ばれた越路吹雪さんは、生みの母に少し似ていたこともあってファンでした。淡谷先生に紹介してもらい、親交が始まりました。

 裏話もたくさん聞きましたよ。越路さんは、パリでエディット・ピアフが歌う「愛の讃歌(さんか)」を目の前で聴いて号泣したそうです。「今まで私は何をやっていたのかしら」って。それを聞き、私は「ちゃんとやってきたじゃないですか」って伝えました。越路さんは愛の讃歌を日本語で歌い、だからこそ大衆の中であれだけヒットしたんです。日本のシャンソンは日本語の歌詞で歌うのでいいと思います。

 ――シャンソンの祭典「パリ祭」では欠かせない存在となりました。

美川憲一さんに大きな影響を与えた歌手の越路吹雪さん

 ◆初出演は82年です。淡谷先生が、創設者で歌手の石井好子さんに頼んでくれて実現しました。一部では「演歌歌手のくせになんでシャンソンを歌うんだ」と反対の声もありましたが、石井さんは「世代交代。若い人がシャンソンを歌ってくれたらいい」と説得してくださったんです。

 ただ、うまく歌えたものの、緊張もあってか納得できる舞台ではなかったです。「パリ祭はコネを使って出る場所ではない」と悟りました。以来、自分なりにしっかりシャンソンをやっていこうと思いました。

 ――シャンソンの代表曲「生きる」が人気です。

 ◆原曲はフランスの「遺言」という曲で、元々は宝塚歌劇団出身の歌手、深緑夏代さんが歌われていました。頼み込んで歌わせてもらった経緯があります。

 ファンからのリクエストも多い一曲です。キャンペーンで地方のショッピングセンターなどを回ると、病院から抜け出して聴きに来る人もいて、「元気になりました」と言ってくださる。メッセージソングとして、一生歌い続けていきたいと思っています。

 ――シャンソンを知らない世代も増えています。

シャンソンへの熱い思いを語る歌手の美川憲一さん=東京都港区で2024年5月30日、三浦研吾撮影

 ◆2021年のパリ祭で、演歌歌手の藤あや子さんがゲスト出演し、話題となりました。演歌歌手がシャンソンを歌うのはいいことだと思っています。シャンソンを広めていくためには、もちろんシャンソン歌手に頑張ってもらう。その上で、ジャンルの違う歌手にもどんどん歌ってもらう。今はジャンルにこだわる時代ではないと思います。

 ――デビュー60周年、まさにジャンルを超えたコラボが話題ですね。

ジャンルを超えた音楽への挑戦を続ける美川憲一さん=岐阜市日ノ出町で2022年7月24日、井上知大撮影

 ◆今年9月に発売した60周年記念シングル「これで良しとする」は、人気ロックバンド「B’z」のギタリスト、松本孝弘さんが作曲を、「GLAY」のTAKUROさんが作詞をしてくださいました。松本さんにダメ元で頼んでみたら、即答で快諾してくださり、実現しました。初めて聴いたときは胸が震えました。

 歌手として歌い続けていたらあっという間に60年が過ぎました。人生は必ず幕を下ろす時が来ます。悔いのないように、これからも、演歌も歌謡曲も、そしてシャンソンも、ジャンルにこだわらず、しぶとく歌い続けるわよ。

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