3年前、末期がんで余命半年の宣告を受けた俳優の斎藤歩さん。その後も舞台に立ちたいと活動を続けてきた斎藤さんが12月、2024年最後の舞台に臨みました。北海道の演劇界をけん引してきた演劇人の思いに迫ります。

 11月29日、稽古場に現れた斎藤歩さん。

 十勝の幕別町で2日後に迫った芝居の稽古のためですが、この日は開始時間に10分ほど遅れました。

 「1人で着替えられなくて時間食っちゃって」(斎藤歩さん)

 「けがしているじゃん」(人形劇師 沢則行さん)

 抗がん剤治療の副作用で転ぶことが増えました。

 「ご存じのように末期がんと言われてまして、余命半年」(斎藤さん、2月)

 3年前、尿管にがんが見つかりました。斎藤さんは自らがんであることを公表。その後、治療しながら芝居の出演も続け、チケットはいつも完売です。

 「演劇初心者なんで、せっかくなら見て学びたいなと思って来ました」(劇を見に来た高校生)

 7月に入院した斎藤さん。しかし、退院後への思いを口にしていました。

 「骨の方にがん細胞が出てきたような状況で。仕事お忙しい?」(医師)

 「11月中旬までなんですよね、次の公演が。もうひとつあるんです」(斎藤さん)

 「まだ、あるんですか?」(医師)

 「12月1日という公演もある」(斎藤さん)

 2024年最後の公演は、十勝の幕別町での芝居。チェコを中心に活動する人形劇師の沢則行さんとの芝居です。

 稽古では時々、せりふが出てきません。本番は2日後に迫っています。

 「こんなことやっているとどうしても痛くなってきて、抑えるとすると頓服というモルヒネをもらっていて、飲めば痛みは感じなくなる。その代わり、たぶん芝居はできない」(斎藤歩さん)

 痛みをこらえながら芝居をする斎藤さん。クライマックスの空飛ぶトナカイのシーンを繰り返し確認しました。11月30日には幕別町に移動です。

 がんで余命半年の宣告を受けながらも舞台に立ち続ける斎藤歩さん。2024年最後の公演は北海道・十勝の幕別町です。

 芝居は斎藤さんが脚本を書いた「カフカ経由シスカ行き」。

 稚内市抜海の海辺が舞台で、礼文島のカフカに残るアイヌ民族の物語やサハリンの敷香の伝説を語りながら、戦争が続く現在を批判するストーリーです。

 「世界が右へ右へと傾き始めている。俺たちオヤジは左へステップを踏もうではないか」(舞台のようす)

 「おもしろかった」

 「いたるところで笑いが出て面白かった」(いずれも観客)

 「(Q:今進めている仕事は?)ないです。頼まれている仕事はあるんですが、筋肉をすごく使って声を維持しなければいけないので、この状態では自信がないから引き受けられないかなときょうは思っている」(斎藤さん)

 オファーはあるものの、これでいったん舞台に立つのは一区切り。しかし12月21日、札幌市で開かれた子どもたちによる人形劇に顔を出しました。手がけた脚本の出来栄えを気にしていたからです。

 芝居が終わり、子どもたちからサプライズが。

 「ハッピーバースデートゥユー」

 実は公演の前日、還暦を迎えていました。1日遅れの誕生日祝いです。

 40年にわたり北海道の演劇発展のために奔走してきた斎藤さん。11月、北海道新聞文化賞を受賞しました。

 「僕がこの1~2年公演に出演すると客がわんさか入るんですよ。閉店セールなんですかね。いまの免疫療法がきいて転移したものが劇的に減ったりすると、来年も閉店セールをやっているかもしれません。その時は劇場でお待ちしていますので、みなさんまた、お会いしましょう」(斎藤歩さん)

 がん治療と演劇と常に向き合ってきた斎藤さん。希代の演劇人は再び舞台に立つ日を目指し歩み続けます。

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