【広島商-横浜】優勝して喜ぶ横浜の選手たち=神宮球場で2024年11月25日、玉城達郎撮影

 明治神宮野球大会最終日は25日、神宮球場で決勝があり、高校の部は横浜(関東・神奈川)が初出場の広島商(中国)に4―3で競り勝ち、27年ぶり2回目の優勝を果たした。

 優勝目前に訪れた山場での決断に強さを見た。2点リードの九回表1死二、三塁。横浜は先発で好投してきた右腕・織田翔希から、左腕・奥村頼人に継投した。

 左翼からマウンドに上がった背番号「1」は登板を待っていたという。「どんな状況でも変わらず、守備の時も自分が投げているような感覚で準備している」。先頭の右打者に9球直球を続けて三ゴロに仕留める。1点差に迫られたが、後続の右打者も3球の直球勝負の末に空振り三振にねじ伏せた。27年ぶりに歓喜の輪が広がった。

 先発した最速151キロを誇る1年生の織田は現時点でも高校トップクラスの本格派。左右を問わず、内外角を自在に突く制球力もあり、その完成度は傑出している。一回から3者連続三振でスタートすると、100キロ前後の縦のカーブも見せながら力投した。この日は九回途中を3失点(自責点1)。今大会通算で21回余りを自責点1に抑える出色の出来を見せ、優勝の原動力となった。

 しかし、この逸材頼みにはならない戦力がある。140キロ超の速球に威力がある奥村も一線級だ。「世間では織田、織田と言われるがエースは自分」。精根尽き、閉会式や取材エリアに姿を見せることができなかった織田を救った。村田浩明監督も「人間疲れ果てるってこんな感じなんだと思った。織田を酷使してしまった部分もあるが、悔しさも残る中で終わることができた。(2人の)良い相乗効果でいけている」と目を細める。

 27年前の優勝時には「平成の怪物」と評された剛腕・松坂大輔投手を擁した。当時のチームはその後、春夏の甲子園、国体を制して44連勝の公式戦無敗記録を作った。偉大なOBに憧れる現チームはこれで連勝を15に伸ばしたが、奥村は「喜ぶのはきょうまで。目指すところは44連勝」と宣言する。左右の看板投手がしのぎを削り、再び「不敗神話」を目指していく。【長宗拓弥】

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