東京パラリンピックでは、新国立競技場のセンターポールにオリンピックも含めて初めて日の丸を揚げた。陸上男子400メートルなどで3年前に金メダルに輝いた佐藤友祈選手(34)=モリサワ=はパリで連覇を狙う。その立場は、世界トップの座を脅かす強敵の登場で激変した。しかし、競技への信念は全く揺るがない。
コロナ禍と障害者の共通点
佐藤選手は21歳だった2010年、突然歩けなくなった。両脚に加えて左上肢にまひが残り、階段を駆け上がり、屋外で走る「当たり前」ができなくなった。「脊髄(せきずい)炎」という診断名が判明するまで時間がかかり、悲観的な感情ばかりが膨らんで引きこもった時期もあった。
転機になったのが、映像で見た12年のロンドン大会だった。車いすで駆け巡るパラアスリートの姿に感化され、自身の未来図が大きく塗り替えられた。運動経験といえば、幼少期にかじったレスリングくらいだった。しかし、「金メダルを取る」と周囲に宣言すると、言葉通りみるみる実力を伸ばした。
16年リオ大会で銀メダルを獲得した。だが、トップに届かず、母国開催の東京大会は雪辱を期す舞台だった。だが、その前に立ちはだかったのが、新型コロナウイルスの世界的流行だった。パラアスリートとして、常に「障害」という不自由と向き合い、自分なりの可能性を信じて最大限のパフォーマンスを追い求めてきた。さまざまな自由が制限されたコロナ禍。大会の開催に対する賛否の声も聞こえてきた。
ただ、「開催することに不安や不満を持つだけではなく、不自由な暮らしの中でどうしたら開催できるか、みんなに考えてほしかった」。21年2月にプロ転向を表明したのも障害者の可能性を社会に示し、パラスポーツを応援してくれる人を増やしたいという気持ちの表れだった。
1年遅れで開催された21年の東京大会。陸上の車いす競技の中で障害が2番目に重い「T52」のクラスで、400メートルと1500メートルで2冠を達成した。
「一気にスイッチ切り替わった」
東京で目標を達成してからは、思うようにタイムが伸びなかった。ずっとトップを競い合っていた米国の選手が一線を退いたことが、少なからず影響した。世界記録の更新という自分との闘いを続け、練習で手を抜いたつもりはなかった。だが、「バーンアウト(突然やる気を失う状態)はあったと思う」と振り返る。
「このままでもパリで金メダルを取れるだろう」という気持ちの余裕は、同じT52クラスに現れたベルギーの新星マキシム・カラバン選手(23)の登場で一変した。
当初はそこまで目立つ存在ではなかった。しかし、ぐんぐん記録を伸ばすと、昨夏にパリで開かれた世界選手権の400メートルでは久々の敗戦を味わった。自身が持つ世界記録も1秒近く塗り替えられた。
「一気にスイッチが切り替わった」
今年5月に神戸で開かれた世界選手権も、やはりカラバンの背中を追うことしかできなかった。入念に準備してきた競技用車いすが、輸送中に壊れるアクシデントに見舞われたことを差し引いても、その差は大きい。
ただ、昨秋から環境を変えるため、オランダ人のコーチに師事し、走行姿勢を大きく変え、スタートダッシュや中盤からの加速を強化して効果も出てきた。今年6月の大会は400メートルで、かつての世界記録だった自己ベストを6年ぶりに更新するなど、着実に前進している手応えはある。
「マキシムにひれ伏すつもりは全くない。東京のタイトルホルダーとして、このまま負けていいわけはない」
両サイドを刈り上げた髪形で表現する「サムライ魂」が、激しく燃え上がっている。【パリ川村咲平】
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