8月開かれるパリパラリンピック。
旧ボート競技・ローイングに米子市の森卓也選手が出場します。
森選手にとってパラリンピックは手が届きそうで届かなかった夢の場所。
周囲の支えでいくつもの苦難を乗り越え晴れの舞台に臨む森選手の今を取材しました。

森卓也選手:
「(良いコンディションで)練習にはもってこいですね」

あさ6時半。
中海に面した米子艇庫。
ボートに乗り込むのはパリパラリンピック旧ボート競技・ローイングに出場する米子市在住の森卓也選手です。
米子を拠点に練習に励み、2024年4月の大会で50歳にして初のパラリンピック出場を決めました。

森卓也選手:
「(パリパラ内定で)やっと皆さんに少しお返しができたと感じている。本番でもしっかりとした漕ぎで皆様に笑顔で良い報告ができるようにしたい」

出場内定の報告会で、恩返しの気持ちを口にした森選手。
パラリンピック出場はまさに悲願でした。

室伏選手に説明する森卓也選手:
「先ずはタイミングを合わす練習からです」

鳥取市の陸上競技場で「鉄人」・室伏広治選手に砲丸投げの説明をするのは当時41歳の森選手です。
実はローイングをする前は陸上競技の選手でした。
森選手は先天性の脊髄の疾患のため35歳で車いす生活に。
体力づくりを兼ねて陸上の投てき競技に挑戦し、砲丸投げと円盤投げの日本記録を樹立するなど一気に頭角を表しました。

しかし、2016年のリオ大会は参加資格に及ばす2021年の東京大会は直前で肩を故障。
投てき競技の道を断たれる程の重症を負いました。
手が届きそうで届かなかったパラリンピックの舞台。
それでも森選手は諦めませんでした。

森卓也選手:
「種目を変えて、(自宅の)近くでできる競技ということで体験会に行った時の楽しさで始めた」

新たな活躍の場を求めて陸から海へ。
それまで鍛えてきた強靭な肉体を生かし、約3年前からローイング競技に転向しました。

勤務先は米子市内にある医療法人。
競技との両立に理解を示してもらっていて、グループが運営するスポーツジムに籍を置きながらここで体を鍛えています。

同僚職員:
「身近な人が(パラリンピックに)出られるなんて。本当は凄い方なのにそれを感じさせない。その切り替えとギャップが素晴らしい」

しかし、夢の舞台を目の前に次なる試練が…。

養和病院・都田孝之理学療法士:
「ここですか痛いのは」

パラリンピック出場内定後の5月、国際大会で左肩を痛めてしまいました。
試合中、トップスピードを試そうと肩に過度な負荷を掛けたことがケガの原因だといいます。

養和病院・都田孝之理学療法士:
「森さん無茶しがちですからその分ケアしてあげないと。日々頑張ってますからね。トレーニングされている成果は身体にあらわれていると思う」

勤務先で治療を受ける森選手。
こうしたサポート体制に心から感謝しています。

森卓也選手:
「しっかりケアしてくれるんで僕も安心しきって(無理を)してしまうんです」

筋トレクッション治療を優先し、ボートに乗る練習は約1か月間できなくなりましたがそれでも森選手は前向きです。

森卓也選手:
「まだ時間はしっかりあるので今のうちに練習プランを考えてしっかり身体を休ませて良い状態で練習をリスタートしたい」

そして6月末、約1カ月ぶりに海の上に戻ることができました。

杉村正男コーチ:
「今の良い。あとは肘や肩に(痛みが)こなければこれでいきましょう」

森卓也選手:
「僕ひとりではなくいろんな人にサポートしてもらって今があるので、みんなで作り上げてきた思いをしっかりパリでぶつけてきたい」

いくつもの試練を乗り越えてようやく掴んだパラリンピックの切符。
感謝の思いを力に変えて夢の大舞台での活躍を誓います。

まさに苦難を乗り越えて掴んだパラリンピックへの切符。
パリにかける思いを改めて聞きました。

森卓也選手:
「全力で楽しむです。練習は苦しみます。とにかくしんどい思いしてやります。でも本番は楽しめたらと思いしっかりやってきます」

何事にも全力で挑む森選手らしいコメントですね。
本番まで残り1カ月半。
悔いのない戦いに挑んで欲しいと思います。

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