栃木県旧国分寺町(現下野市)が子どもに自信と誇りを持たせ健全な心身を育むために行う「児童生徒表彰に関わる条例(子ほめ条例)」を制定してから来年で40年を迎える。少年非行が「戦後第3のピーク」と言われた1980年代に始まったこの取り組みは、今も表彰される子どもたちの心に響いている。全国初とされるこの条例が作られた経緯や時代背景について取材した。
10月1日、市立緑小では児童表彰式が開かれていた。式典で坂村哲也市長は「一人一人が大切な、かけがえのない存在であることを胸にこれからもよい行いを続けてほしい」とあいさつし児童に、賞状と記念のメダルを手渡すとうれしそうに受け取った。児童代表の栗林真未さん(12)は「私たちを支えてくれた人たちに感謝の気持ちでいっぱい。これからも成長し続けたい」と笑顔で感謝の言葉を口にした。
児童表彰式は合併前の旧国分寺町で1985年に始まった。当時は少年の非行が社会問題となっていた。
82年の警察白書では、少年非行の現状についてまとめている。それによると80年代前半は、少年非行の「戦後第3のピーク」と言われ、非行の入り口と言われる万引きなどの窃盗や、暴走族、校内暴力なども増加していた。
同白書では「ごく普通」の家庭環境にある少年が非行に走りやすい素地が拡大していると指摘し、「関係団体が相互に連携し、それぞれの立場で可能な対策を推進していく」必要性について言及している。
当時の若林英二町長は「直接子どもに語りかけ、教育関係者を側面から支援することが急務」として、4期目の選挙公約に「義務教育9年間に必ず1回表彰する」と掲げ、当選後に子ほめ条例を制定した。
表彰では、努力賞▽奉仕賞▽親切賞▽体育賞▽学芸賞――を設け、各校でそれぞれの児童生徒にふさわしい賞を選び、教育委員会に推薦。町長や教育長が各校を訪問し銅メダルと賞状を贈った。メダルの色を「銅」としているのは、これから自分の努力で「金」、「銀」のメダルを手にしてほしいという願いが込められているためだ。
表彰は2006年の合併後の下野市でも踏襲。表彰する賞を旧条例に加え、健康賞▽友情賞▽明朗賞――を追加し、各校で項目を決定することができるよう一部を改正した。旧国分寺町時代に行われた21回を含めると、今年で39回目の表彰式となった。
同様の「子ほめ条例」は、岡山県鏡野町、鹿児島県志布志市など他県の自治体でも制定され、親孝行賞やボランティア賞などさまざまな賞で児童を表彰している。
表彰された大人は賞についてどう感じているのか。第1回の表彰式で「学芸賞」を受けた森口哲二さん(52)は、現在、下野市総合政策課課長補佐として勤務している。「自分のことを先生が見ていてくれた、という思いが残っている」と当時を振り返り、「約40年続いていることはすごいこと。後輩たちにも誰かが常に見守っているということを忘れず、市を誇りに思って学業に励んでほしい」と話している。【松沢真美】
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