遊水地として使われる計画がある原農場の田畑を見つめる原伸一さん=埼玉県坂戸市で、2024年10月13日午後4時49分、鷲頭彰子撮影

 埼玉県内に大きな被害をもたらした2019年10月の台風19号から5年。国は、官民含めた河川流域の関係者が協力して洪水対策に取り組む「流域治水」の推進を打ち出した。計画に盛り込まれたのが、上流の農地などに河川からあふれた水を流し込み、下流の被害軽減を目指す遊水地の整備だ。だが、被災を引き受ける形となる農家への補償の議論は十分とは言いがたい。下流のために上流が犠牲になるのか――。そんな不満が農家からは漏れる。

 荒川水系の1級河川・入間川の流域では、台風19号で越辺川や都幾川などの堤防計7カ所が決壊。同流域では2人が死亡(関連死含む)、住宅約500棟が全半壊し、床上・床下浸水は計約1000棟に及んだ。

 国土交通省や県、市町は連携し、20年から入間川流域の「緊急治水対策プロジェクト」を開始。河道内の土砂掘削や樹木伐採、堤防強化などを進め、同規模の大雨でも洪水被害が起きないようにすることが目標で、遊水地の整備も盛り込まれた。坂戸市三芳野地区では、広さ約100ヘクタール(東京ドーム21個分)、貯水量約500万トンの遊水地を造成する計画だ。

 「農家は地域住民と共存しているのが大前提なんだ」。同市紺屋で「原農場」を経営する原伸一さん(52)は、越辺川沿いの畑一面に広がる鮮やかな若葉の緑を眺めながら話す。

 36歳で農家を継ぎ、空き缶が投げ捨てられるような耕作放棄地を整備し、農地として復活させてきた。草だらけの荒れた土地が、人々の命を育む麦畑に生まれ変わったことに近隣住民も喜んでいるという。高齢化で耕作できなくなった農家から借りた土地を含め、麦を96ヘクタール、米を40ヘクタールで栽培。東京ドーム29個分に相当する広さだ。そのうち約4分の1が遊水地計画に位置する。

 「愛情を持って育ててきた土。なぜその優良地に『治水のために犠牲になるのが当たり前』というように計画を押しつけられないといけないのか」。納得できない思いは強い。

 国土交通省のホームページによると、遊水地には大雨時、一部を低く作った堤防(越流堤)からあふれさせた水を流し込む。そうすることで下流の水位を一時的に下げ、都市部などでの氾濫を防ぐという。

 実際に遊水地として整備された場合、浸水を受け入れることに対する補償として地権者には1度、補償金が支払われるが、その後の農地復旧の面倒を国が完全に見るわけではない。河川管理上支障がある流木やゴミは国費で撤去されるが、浸水で畔(あぜ)や水路に被害が出る可能性もある。「耕作可能な状態に復旧するとまでは言えない」(国交省荒川上流河川事務所)という。

 下流のために上流が犠牲を払う。そんな構図に対しては、23年12月の定例県議会でも、議員から改善を求める声が上がった。

 「リスクを流域全体でシェアすることは、同時に努力をみんなでシェアすること。(堤防から水を)あふれさせて被害を少なくする際、(下流の自治体といった)受益団体はどのような負担をするのか考えるべきだ」

 これに対し、大野元裕知事は「特に受益する下流域からの支援が必要」と、負担の必要性を認める答弁をした。

 新潟大農学部の吉川夏樹教授は、「新たに作られる施設(堤防や越流堤)が原因で被害が生じるのであれば、対象となる農家が従前と同様に耕作ができるよう復旧するのが当然。農地復旧については農林水産省がしっかり制度設計し、農家との合意形成が不可欠」と話す。

 今回の衆院選では、与野党を問わず多くの政党が「流域治水」の推進を公約の中に盛り込んだ。水害対策推進のための経済的負担や被災リスクを流域全体でどう分担していくのか、省庁をまたぐ横断的な議論が必要だ。【鷲頭彰子】

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