日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)のノーベル平和賞受賞決定を受け、被爆者で70年以上にわたって核廃絶を訴えてきた斎藤政一さん(100)=岩手県花巻市=は「この日を待って、待って、待っていた。生きているうちに受賞の報に接することができ、こんなにありがたいことはない」と声を詰まらせた。
79年前のあの日、斎藤さんは通信部隊の少尉として広島にいた。爆心地から1・8キロの比治山で被爆。何とか一命を取り留め、終戦後は郷里の岩手で被爆者団体の設立時から活動を続けてきた。
当初、被爆者の救済や互助が中心だった活動は核廃絶に向けたものへと代わり、斎藤さんは度々、ニューヨークで開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議にも参加してきた。90歳だった2015年にも渡米し、国連本部で被爆体験を語った。
受賞が決まった11日は体調を悪くしており、ニュースは入院中の病院で聞いた。うれしくて涙が出たという。「退院したらまた語りたい」。自宅に戻れば、居間に飾った数十個の時計の針は、全てあの朝と同じ8時15分に合わせてある。原爆の犠牲者を忘れず、今も続く被爆者の苦しみを思い起こすためだ。
一緒に活動していた仲間たちは、次々にこの世を去った。「核廃絶の実現に少しでも尽くすのが、自分の生きる意味だと思ってやってきた。長年の活動が認められたのだと思う。100歳になってこの知らせを聞けて良かった」【春増翔太】
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