LL・クール・J CHRIS PARSONS

<16歳でデビューしてストリート文化を、世界レベルに育て上げたレジェンドが、11年ぶりのアルバムに込めた思い>

LL・クール・J(56)がヒップホップにどれだけ貢献してきたかを知りたければ、彼がQティップと交わした会話に耳を澄ますといい。

Qティップはア・トライブ・コールド・クエストのメンバー。トライブは1990年代、ジャズをサンプリングした独創的な作風で名をはせた。カニエ・ウェストやファレル・ウィリアムスらスーパースターの先駆けとされる伝説のグループだから、ミレニアル以降の世代にとってQティップはヒップホップのパイオニアにほかならない。


だがLLに新作『THE FORCE(ザ・フォース)』でのコラボレーションを持ちかけられた瞬間、大御所Qティップの地位は揺らいだ。

「Qティップに電話したら、彼は最初の呼び出し音で出た。『どうしました、兄貴!?』ってね」。LLはオンライン取材でうれしそうに振り返る。

「兄貴」は平凡な呼びかけに聞こえるかもしれないが、崇拝の念がこもっている。後進にとってLLはまさに兄貴分。だが彼が「兄貴」と尊敬できるラッパーは、片手で数えられるほどしかいない。

草分けの1人として一から築いたヒップホップ文化に今も貢献できることを新アルバムを通じて証明したいと、LLは考えている。

「俺は8歳でラップに目覚め、11歳か12歳でリリックを書き始めた。ヒップホップが生まれたその日から、現場にいた。ずっと文化の一部だった」

ロックの殿堂入りを果たしたLL・クール・Jはエミネムと共演(2021年) KEVIN MAZUR/GETTY IMAGES FOR THE ROCK AND ROLL HALL OF FAME

LLがヒップホップの創成に深く関わったことは、いくら強調しても足りない。

80年代、最初にメインストリームに躍り出たアーティストといえば、シュガーヒル・ギャングやグランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイブが思い浮かぶかもしれない。だが、ソロでスターになったラッパーはLLが初めてだ。


彼は84年、後にヒップホップの代名詞となるデフ・ジャム・レコーディングスと16歳で契約。「アイ・ニード・ア・ビート」など虚勢やマッチョさを前面に押し出した曲で、ヒップホップの新鮮な魅力をアピールした。

ファッションにも貢献

LLがデビュー作『レイディオ』を発表した85年当時、ヒップホップはほぼニューヨーク限定のストリート文化だった。LLはこのアルバムでカリスマを存分に発揮し、ヒップホップがれっきとした音楽であることを証明した。

その後のアルバムでは粋がったラップの間に「ドゥーイン・イット」など女性ファンがターゲットのエロチックなナンバーを挟み、唇をなめるしぐさと肉体美を武器にヒップホップ界初のセックスシンボルとなった。

大ぶりなアクセサリーをはやらせたのもLLだという。3枚目『パンサー』のジャケットでLLはゴールドのチェーンを着け、極太のゴールドチェーンを巻いた黒ヒョウとポーズを取った。

『リップシンクバトル』の司会も GREG DOHERTY/GETTY IMAGES

「当時ハーレムでつるんでいた連中のスタイルをまねた。あれは俺の発明ではないが、世間に広めたのは俺だ」と、彼は振り返る。

「RUN DMCのジャム・マスター・ジェイは俺のチェーンを見て、もっと太いのを買った。彼らの『マイ・アディダス』は俺の『アイ・キャント・リブ・ウィズアウト・マイ・レイディオ』にインスパイアされた曲だ。RUN DMCは特別に好きなグループだから、愛を込めてこういう話をさせてもらう」


さらにLLは続ける。「『素晴らしき哉、人生!』を見たことはある? 俺がいなかったらヒップホップ界は衝撃的に違っていたはずだ」と言って笑う。引き合いに出した1946年の映画では自殺しようとする主人公の元に天使が訪れ、彼が世界に及ぼした影響の大きさを教える。

「だが自慢話は控えることにしている。そういうのはもうやりたくない。俺はただ感謝で胸がいっぱいなんだ」

パーティーでもラジオでも引っ張りだこのヒットを連発し、プラチナアルバムを次々と放ち、LLはヒップホップ界で正真正銘のスターとなった。さらにはロックの殿堂入りを果たし、文化・芸能への貢献をたたえるケネディセンター名誉賞にもラッパーとして初めて輝いた。

LL COOL J - Road To The Rock & Roll Hall Of Fame

こうした音楽界での栄冠の数々は、ハリウッドでの成功を後押しした。LLは、85年のデビューアルバム『レイディオ』のリリース直前に、映画『クラッシュ・グルーブ』にカメオ出演して以来、映画やテレビドラマに数多く出演してきた。

それも名優アル・パチーノとジェイミー・フォックス主演の映画『エニイ・ギブン・サンデー』や、超人気の犯罪ドラマ『NCIS:LA〜極秘潜入捜査班』など、一流の作品ばかりだ。俳優以外にも、グラミー賞授賞式の司会を5年連続で務めたり、セレブがヒット曲の口パク演技を競う番組『リップシンクバトル』の司会なども務めてきた。


大物ラッパーが多数協力

テレビや映画に出演するようになると、音楽活動は事実上休止するラッパーが多いが、LLは違う。

2016年には、ラップ界の大御所ドクター・ドレーのビートに合わせて、フリースタイリングを披露する動画を発表。以来、ドレーとは30〜40曲を共作してきた(ただし自分の担当部分の仕上がりには満足していないという)。

新作『THE FORCE』は、「真にクリエーティブなエネルギーの周波数」という意味が隠されているという。実際、歌詞を見れば、これまで最高傑作とされてきた90年の『ノック・ユー・アウト』以来の力作となっている。

3曲目の「サタデー・ナイト・スペシャル」は、大物ラッパーのリック・ロスとファット・ジョーの参加を得て、ストリートの現実にさらされるギャングの生きざまを歌う。

LL COOL J - Saturday Night Special ft. Rick Ross, Fat Joe

6曲目の「プロクリビティーズ」は、若者に大人気の女性ラッパーであるスウィーティーとのなまめかしいラブソングだ(これもLLがラップにもたらしたジャンルだ)。続く「ポストモダン」では、80年代のLLを彷彿とさせるラップを聴くことができる。

LL COOL J - Proclivities ft. Saweetie

ほかにも「プレイズ・ヒム」ではNAS、「ヒューイ・イン・ザ・チェア」でバスタ・ライムス、「マーダーグラム・ドゥ」でエミネムなど、ベテラン人気ラッパーがこぞって参加しており、さすがLLの新作だとうならずにはいられない。

Praise Him

Huey In The Chair

LL COOL J - Murdergram Deux ft. Eminem

目立つ社会派の歌詞

ただし多くのファンが驚くのは、新作にアメリカ社会における黒人の文化や生き方を扱った歌詞が目立つことかもしれない。

例えば、4曲目の「ブラック・コード・スイート」では母親の料理から始まって、スティービー・ワンダーやデューク・エリントンなど黒人文化を語り、10曲目の「ヒューイ・イン・ザ・チェア」は急進的な公民権運動を展開した組織ブラック・パンサーの共同創始者ヒューイ・ニュートンを題材にしている。

Black Code Suite

社会派とでも呼ぶべき作風は、1曲目の「スピリット・オブ・サイラス」から顕著だ。これは、13年に元ロサンゼルス市警の警官クリストファー・ドーナーが、同僚ら4人を殺害した事件を、ドーナーの視点から語る体裁になっている。事件前に解雇されていたドーナーは、犯罪被疑者に対する過剰な暴力を内部告発したことが解雇につながったと主張していた。

通常ならパブリック・エネミーあたりが曲にしそうなテーマだ。しかも10年以上前の事件について、なぜLLは曲を書くことにしたのか。

Spirit of Cyrus

当時、LLは警察関係者や友人から、「君は見た目がドーナーに似ているから、ドーナーの身柄が確保されるまで外出しないほうがいい」と忠告されたのだという。

「ラッパーとして、あらゆる人種やジェンダーを受け入れ、尊重しているつもりだ。でも世の中で起きていることを扱わないのは、アーティストとして無責任だし臆病だと思った」と、LLは語る。「自分の文化のために声を上げないでどうする? 『NCISに出演してがっぽり儲けた』とでも歌えばいいのか」

ヒップホップは昨年、誕生から50周年を迎え、40代や50代のラッパーも増えた。それだけにLLは、ヒップホップは若者だけの音楽ではないことを証明したいと考えている。「LL・クール・Jがラップのアルバムを発表しなかったら、世界を、そして自分自身をだましている気がする」

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