[金平茂紀のワジワジー通信 2024](16)

 最近、現代史をきちんと後継世代の人々に伝承していくことがどれほど大切かと考えることが多くなった。ある事件を思い出す。思想信条は自分とは全く異なるが、作家の三島由紀夫が1970年に、陸上自衛隊市ケ谷駐屯地に乱入し、東部方面総監を人質にとって監禁、バルコニーで自衛隊員に向けて演説した後に割腹自殺を遂げた。当時の社会に大きな衝撃を与えた。その際のバルコニー演説の内容の一節を思い出したのだ。

 〈諸君は永久にだねえ、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ〉

 バルコニー上でマイクなしの肉声で自衛隊員に必死に訴えていた。まさか三島の預言が今、現実化するとは。

 岸田文雄首相がアメリカを国賓待遇で訪問し、それはそれはとてもとても温かいもてなしを受けた。大統領専用車ビーストに同乗させてもらった。晩さん会を開いてもらった。議会で英語でスピーチをさせてもらった。首相は、日本国内ではめったにお目にかかることのないような至福の表情を随所で浮かべていた。

 それを首相に同行した日本の報道陣は、余すところなく報じていた。僕はぼんやりとテレビを見ていた。「岸田首相はFNNの単独インタビューに応じました」と。何を聞くのかと思いきや、公式晩さん会に日本のYOASOBIが出席していた理由を聞いていた。なるほどこれが日本のソフトパワー戦略か。日米首脳会談は今や一大メディアショーである。訪問の成果なるものは何か。一言で言えば、軍事面での日米同盟の際限なき一体化である。外務省OBの一人、田中均氏をして「非常に悲しくなった。アメリカとこれだけ一体化してよいのかという疑問を正直抱かざるを得ない」(田中氏のYouTubeチャンネルより)と言わしめた米国訪問だった。

 すでに、私たちの国では、軍事装備面での米との一体化(トマホークやらオスプレイやらを爆買いさせられてきた)、防衛費のとてつもない増大(暮らしより軍事費が優先されている)、敵基地攻撃能力保有の正当化、殺傷能力のある兵器輸出の事実上の容認などがこの内閣の下で問答無用の形で進められている。

 自衛隊の指揮系統が米軍との「連携強化」という言い方で日米で一元化される。日米関係は、地球規模で共に働く「グローバル・パートナー」という「前例のない高みに達した」と首相は自賛していた。

 敗戦後、日本は長きにわたって、憲法で戦争放棄をうたい専守防衛を国是としてきた。自分から決して攻めていかない。攻められたらやむを得ず身を守る。日本は決して「矛」にはならず、「盾」として必要な防衛力を保持するのだと。これが無残な戦争を経験してきた先人たちが守ってきた国の方針だった。それがこの10年余りで様変わりした。現実的に「戦争のできる国」になろうとしている。その先導モデルケースにされている場所が、何を隠そう沖縄ではなかったか。

 沖縄は先の戦争で唯一地上戦を経験した日本の行政地域だ。沖縄戦で県民全体では12万2千人以上、県民の4人に1人が亡くなった。沖縄の人々は、戦後一貫して、戦争を二度と沖縄で起こしてはならないと誓ってきた。今回の日米首脳会談の成果なるものは、そうした思いとは真逆の方向に進むことを宣言した、あえて言えば、沖縄を再び戦場にすることをうたったような内容である。僕はそう思う。

 現代史の伝承の話に戻る。沖縄を二度と戦場にしてはならないと強靭(きょうじん)な意志を貫いてあらがった人物がいた。その人物の写真展(『阿波根昌鴻 写真と抵抗、そして島の人々』原爆の図・丸木美術館で5月6日まで)が埼玉県内の美術館で開催中だ。「沖縄のガンジー」とも言われた伊江島の平和運動家・阿波根昌鴻さんが撮っていた写真約350点が展示されている。

 阿波根さんは「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる土地接収によって、住民の住宅・土地が米軍に強制的に奪われたことに文字通り体を張って抗議し、農民たちと共に非暴力の闘争を続けた。

 阿波根さんは職業カメラマンではないが、1955年頃に二眼レフのカメラを入手して以来、伊江島に住む人々のありのままの日常や米軍による強制的な土地接収のリアルな模様、射爆演習場での生々しい被害の実態、「乞食行進」と呼ばれる抗議運動などを記録していた。キュレーターで東京工芸大学准教授の小原真史さんが、3千枚以上ものネガが残されていることを知って、それらをデジタル化した。

 苦労して丸木美術館にたどり着く。会場で写真をじっくりと見ることができた。伊江島の人々の表情にひかれた。子どもたちの表情が実にいい。生命力を感じる。人間が住んでいる島だ。植民地でくつろぐような米軍の家族の写真も数枚あった。まさに現代史を見ている感覚。

 その他にちょっとした発見もあった。故浜田幸一氏と言えば、「ハマコー」の愛称で知られた自民党の行動派保守議員として記憶されている方も多いだろう。その浜田氏が若き頃、恐らく20代半ばの頃、伊江島を訪れていた写真があった。かやぶき屋根の民家の前で伊江島のオバアと共に写っている。米軍による強制的な農民からの土地接収に、保守政治家の血が騒いだのだろうか。当時は米軍統治下の沖縄。パスポートを使って浜田氏も伊江島までたどり着いたのだろう。

 阿波根さんが生きていたら、現下の米軍と一体化する日本政府のありさまをどのように述べただろうか。僕もわじわじーする。(テレビ記者・キャスター)=随時掲載

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