公開練習に臨む黒後愛(左)ら女子バレー日本代表の選手たち=5日、東京都北区(福島範和撮影)

「こんな感じで大丈夫ですか? 長かった~」。話し切った後に一息つくと、黒後愛(25)=埼玉上尾=は以前と同じような、屈託のない笑顔を浮かべた。

バレーボール女子日本代表として、2021年東京五輪に出場した180センチのアタッカー。1次リーグ敗退に終わった五輪後は、心身の不調から1シーズンを休養に充てた。Vリーグ1部の東レから埼玉上尾に移籍した今季、徐々に出場機会を増やし、3季ぶりの代表復帰を果たした。「ほぼ難しいと思っていた。チャンスをいただけてうれしい」。今月5日、チーム始動会見後に話を聞くと、東京・下北沢成徳高で全日本高校選手権(春の高校バレー)を2連覇した当時と変わらず、どんな質問にも丁寧かつ誠実に答えてくれる彼女の姿があった。

昨年9月、東京・国立代々木競技場で行われたパリ五輪予選。黒後は日本の最終戦を現地で観戦した。チームはブラジルに2-3で競り負けて五輪出場を決められず、パリへの切符は今年6月の世界ランキング次第となった。「一緒に悔しい気持ちがわいたか」という問いに、黒後からは「実際に試合をしているメンバーが1番(悔しい)。同じ気持ちまでいけていたかはわからないですけど、勝てない悔しさっていうのは近い気持ちを感じられていたのかな」との答えが返ってきた。また「試合の背景というか、そこまでの過程がなんとなく浮かんできて。その舞台に立つまで、いろんなことを乗り越えて戦っているんだなと思ってみていたら、感極まる部分もあって。感動しながら見ていました」とも話した。

「いろんなことを乗り越えて」という言葉は、自国開催の五輪で大きな挫折を味わった彼女の競技人生にも重なった。この間、バレーとどう向き合ってきたのかを問うと、黒後は5分半以上を費やし、激動の3年を振り返ってくれた。

■心と体のギャップ

東京五輪後、黒後は1週間にも満たないオフを終えると、早々に所属していた東レに合流したという。ただ、精神面も含め、自身のコンディションはなかなか上がらなかった。「心と体のギャップみたいなのが少しずつ生まれてきて…」。当時は東レの主将を務めており、「自分から休ませてくださいって、なかなか言えなくて」という状況だった。東レのスタッフや越谷章監督が異変を察知し、「1回、実家に帰って休んでみたら?」と声をかけてくれたという。

期限を設けずに実家で静養することになった黒後は、チームと連絡を取り合う中で、1シーズンを丸々休養することが決まった。シーズン後の再合流には不安もあったが、積極的にコミュニケーションを図ってくれたチームメートやスタッフに支えられたという。復帰した22~23年シーズンは、主に控えの守備要員としてコートに立ち、徐々にスパイクを打つ場面を増やしていった。

シーズン終了後の5月には東レからの退団、自身の誕生日である6月14日には埼玉上尾への加入が発表された。移籍は「環境を変えて新しい気持ちでバレーにチャレンジしたい」との思いからで、休養前から東レとの話し合いは始まっていたそうだ。下北沢成徳高の同期や後輩も在籍する新天地では、セッターとその対角のアタッカーを同時に交代させる「2枚替え」要員としての途中出場が続いたが、年明けの1月6日のKUROBE戦で移籍後初先発し、勝利に貢献。「徐々に(先発で)出たい気も強くなっていた。緊張もしたが、うれしかった」。その後はコンスタントに力を発揮し、チームを過去最高に並ぶ3位に押し上げた。

「リーグを戦っていく中で、代表に行かせてもらえるチャンスがないかと少しずつ思い始めていた」。代表招集への打診を受けた際には、「行きます!」と即答したという。

■激しいポジション争い

日本代表の真鍋政義監督は就任後初選出した黒後について、「経験値が素晴らしい。高さがあるので、ブロックという部分では大きい」と期待をかける。

想定しているポジションは東京五輪と同様、セッター対角。現在は守備力の高い林琴奈(JT)が担っており、より攻撃的に戦う場面での切り札としての起用が見込まれる。

ただチームには、これまでその役割を担ってきたサーブのいい和田由紀子(JT)がおり、最高到達点では黒後を上回るオクム大庭冬美ハウィ(日立)も2季ぶりに復帰した。代表合宿には22人が参加しているが、パリ五輪出場を懸けて戦う5月開幕の国際大会ネーションズリーグは登録が14人。五輪はさらに少ない12人に絞られるため、2大会連続出場は決して簡単ではない。

ゲーム主将を担った下北沢成徳高の3年時、練習中に気の緩みを感じると「本気でやってんの?」と厳しく手綱を締める彼女の姿を見てきた。東京五輪延期が決まる直前の20年2月のインタビューでは、「チームが取りたい1点を取れる選手でありたい」と五輪への意気込みを語ってくれた。責任感の強い選手だからこそ、満足のいく結果が得られなかった五輪の反動は想像以上に大きかっただろう。

多くのバレーボールファンと同様、休養が発表された際には「またコートに戻ってくるのだろうか」と心配になり、復帰のニュースには心から安堵(あんど)した。再び日の丸を背負うまでの苦悩と努力は、並大抵ではなかったはずだ。2度目の五輪挑戦は、心から満足する形であってほしいと強く願っている。(運動部 奥村信哉)

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