2004年のクラブ創立から21年。国内最高峰リーグへの道のりは、決して平たんではありませんでした。J1昇格を決めたファジアーノ岡山のこれまでの歩みを振り返ります。
2024年12月7日、ファジアーノがJ1昇格を決めた日。岡山の街は大いに盛り上がりました。
■7日、岡山市内
「J1!J1!J1!」
この日に至る道のりは…
2005年、まだ地域リーグを戦っていた頃のファジアーノ岡山です。
前身は、川崎製鉄水島サッカー部のOBチーム。Jリーグ入りを目指し、特定の親会社を持たない市民クラブとしてスタートしました。
クラブの礎を築いたのは、2006年に社長に就任した木村正明さんでした。故郷・岡山を盛り上げたいという思いから、外資系証券会社の執行役員という立場を捨て、帰郷。私財を投げ打ってチーム作りを進めました。
2007年、ファジアーノは、全国地域リーグ決勝大会で優勝し、アマチュア最高峰の、JFLへの昇格を決定。翌2008年には、JFLでも勝利を重ねます。
そして…4位でシーズンを終えたファジアーノは、念願のJリーグ参入、J2昇格を決めました。
■2008年、電話を受ける木村社長
「県民の皆様に愛されるクラブを作っていきたいと思います。よろしくお願いいたします」
ここまでトントン拍子だったファジアーノですが、資金力に勝るクラブが集うJ2リーグは甘くなく、初年度は最下位、その後もしばらく低迷します。練習環境も決していいとは言えず、様々なグラウンドを転々とする日々。クラブハウスがなく、練習後に選手たちが子供用のプールでクールダウンする姿が恒例でした。
恵まれた環境は無くてもハングリーさではどこにも負けない。そんなチームカラーを象徴していたのが、この頃、オフシーズンの恒例になっていた雪山キャンプでした。
無人島キャンプも行うなど、他のJリーグクラブとはちょっと違うチームカラー。それがこの頃のファジアーノでした。
その後、クラブスタッフの地道な営業努力もあってスポンサーが増え、練習場も2013年に完成。支援の輪が広がっていきます。
クラブの財政基盤が強化され、元日本代表も所属するようになったファジアーノは2016年、リーグ戦で6位に入り、初めて昇格プレーオフに進出。決勝に進出しましたが、セレッソ大阪に1対0で敗れ、目の前に迫っていたJ1はスルリと逃げていきました。
二度目のプレーオフ進出はそれから6年後の2022年。現在の木山監督の就任1年目でした。リーグ戦を過去最高の3位で終え、ホームで準決勝を戦ったものの、山形にまさかの3対0で完敗。プレーオフの難しさを突きつけられました。
あれから2年。悔しさをバネにたくましさを増したファジアーノは、創立21年目、J2参入16年目でついに国内最高峰J1リーグへの扉を開いたのです。
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