[第38回NAHAマラソン]
厳しい日差しが照りつけた1日の第38回NAHAマラソン。亡くなった妻の思いとともに。大病を乗り越えて。家族の声援を背に。2万人を超えるジョガーのそれぞれの思いと決意が南部路を走り抜けた。沿道ではやまない声援に太鼓やカチャーシー、飲み物や食べ物の差し入れなど、ジョガーを支えようと温かいもてなしが続いた。
安藤誠さん(64)=糸満市=は、筋ジストロフィーを患っていた妻の弘美さんを今年6月に亡くした。享年65。遺品の整理中、妻が残した「なりたい未来ノート」を見つけた。そこに記されていたのは「(元気になって)主人と並んで走りたい」。妻の願いをかなえようと、遺影を持って5時間35分9秒で完走した。
2人は誠さんの故郷の山梨県にマイホームを建て、幸せな結婚生活を送っていたが、次第に弘美さんの病気は進行。障がい者支援施設で働いていた誠さんは54歳で早期退職し、10年前に弘美さんの故郷の沖縄で療養を始めた。
別れは突然だった。今年6月、弘美さんがいる病院から呼ばれ、慌てて駆け付けると、すでに弘美さんの意識はなかった。AEDを使って心肺蘇生をする音が聞こえた。20分以上胸骨圧迫を続け、あばら骨は何本も折れた。もはやここまでかと思ったとき、看護師が「旦那さんが来ましたよ」と耳元で伝えると、無反応だった弘美さんの脈が少し動いた。
「妻は最後の力を振り絞ってあいさつしてくれた。よく頑張った」。しばらくして、弘美さんは天国へと旅立った。
妻が力の限り書いた「なりたい未来ノート」。「歩けるようになったら思いっきり走ってみたい。主人と並んで歩きたい、逆に走りたい。病気を恨むよ」。知らなかった思いに、あふれる涙を何度も拭った。
誠さんはコースを走っている最中、「今一緒に走ってるよ! あと何キロだよ」と弘美さんに話しかけながら、一歩一歩、夫婦の絆を確かめた。いつもは1キロ6分のペースで走る。だが、今日は時間が許す限り妻と一緒にいたい。1キロ7分半でゆっくり走った。ゴールが近づくにつれて、さみしさが込み上げた。
誠さんは自身の誕生日に当たる18日に山梨県に戻る。「妻の願いをかなえられて良かった。これからも見守っていてね」と語りかけ、沖縄での最後の思い出を2人でかみしめた。(社会部・末吉未空)
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