運命のプロ野球ドラフト会議は10月24日。スコアラーからエースへと急成長し、夏の愛媛を制した超高校級右腕が夢をかなえようと決意をみなぎらせている。そのエース投手が歩んできた道のりと決意に迫った。

プロ注目右腕「どん底の状態でした」

夏の高校野球愛媛大会で、創部9年目にして初優勝に輝いた聖カタリナ学園高校。その原動力になったのが、3年生でエースの有馬惠叶(けいと)投手だ。

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「優勝はずっとイメージしていたので、やっとこの瞬間が本当に現実になったなという感じでした」と語る有馬投手は、身長190cm体重78kg。細身の体ながら、長身から投げ込む角度のある速球と切れ味鋭いフォークが武器の本格派右腕だ。

甲子園では初戦で惜しくも敗れたが、有馬投手は自己最速を3km/h更新する146km/hを記録するなど、7回3分の2を投げて1失点と大舞台のマウンドで躍動した。

プロからも注目される存在になった有馬投手だが、新チームが始動した2023年秋の背番号は18番だった。

聖カタリナ学園の浮田宏行監督は「新チームの時はピッチャーというようなところまでのレベルではなかったので、スコアラー、ベンチの中でスコアラーをしたんですね」と当時の有馬投手を評する。

何をどうしたらいいのか分からない…。1年前、有馬投手は恵まれた体を生かしきれず、伸び悩んでいた。

有馬投手は「その時はもうどん底の状態でしたね。何してるんだろうというのが大きかったですね」と振り返った。

伸び悩む有馬投手に訪れた転機

転機となったのは、2023年の10月。以前から通っていた愛媛・宇和島市のスポーツジムに相談したことがきっかけだった。

伸び悩んでいた頃の有馬投手

当時はテイクバックで腕が後ろに入りすぎていたほか、体重移動の際に上体が打者側に突っ込んでしまうなど、腕だけで投げている状態だったという。

その有馬投手に変化をもたらせたのが、動作分析の知識もあるゼロスタイル代表・濱田直洋トレーナーだ。

濱田トレーナーは「体って1つの筋肉では動かないので、全てが連動してうまくエネルギーが伝わる」といい、連動させるために体をどう使うかを考えながら、2人で取り組んできた。

浮田監督の了承も得て取り組んだ投球フォームの見直しと、それを支える体の土台作り。

有馬投手は「足を使って投げるっていうのを一番最初に教わって、地面反力とかそういうのを大事にするっていうのは教わったんですけど、なかなか分からなくて。最初の3カ月くらいはどうやったら効果的に体を使えるんやろなあみたいな。で、その足が使えたら自然と腕が振れて、上の力なんかは最後だけ入れる感じで投げられるので、そこがおお!みたいな感じでした」と話し、最初はうまくかみ合わなかったものの、徐々に手応えを感じていったという。

「臨場感があるようなピッチャーに」

高校最後の夏へ―。
誰よりも早く練習を始めるなど、真摯に野球と向き合いコツコツと努力を重ねる有馬投手の姿を見守ってきた浮田監督が決断する。

浮田監督は「最終的に夏の大会で背番号1を渡したんですけども、その理由としては実績というよりも一番冬場にトレーニングをして努力したという評価を1番を授けました。それによって本人の責任感といいますか、夏の大会に入ってからすごくいいピッチングができたんじゃないかなと思います」と決断の理由を語った。

背番号1を渡された有馬投手は「結果が出ない日とかは練習したくなくなる日もあると思うんですけど、そういう時だからこそ練習して、結果が出るか分かんないですけど、それでもやっぱりやり続けることに意味があると思います。いつも意識を高く持って、人がやってない時でも、見てない時でも、そういう行動ができれば、運も味方につくんじゃないかなって思います」と意気込んでいる。

有馬投手が大事にしている言葉は「夢はかなえるもの」。プロ野球選手になるという堅い決意で吉報を待つ。

聖カタリナ学園・有馬惠叶投手(3年)

有馬投手は「育成でもプロに行きたい。自分がマウンドに上がったら雰囲気が変わるような、臨場感があるようなピッチャーになりたいです」と抱負を語った。

どん底からはい上がり、プロ注目の投手へと変貌を遂げた18歳。運命のドラフト会議は10月24日だ。

(テレビ愛媛)

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