10月24日に行われるドラフト会議。数々のドラマを生んできた運命の日を、日本ハムとソフトバンクで19年間にわたり活躍してきたプロ野球解説の鶴岡慎也さん(43)が振り返ります。

同郷のライバルだった川崎宗則選手の存在

――鶴岡さんは高校時代、地元の鹿児島県樟南高校で活躍しました。

 甲子園でベスト4、侍ジャパンにも選ばれて「かかる可能性がある」と情報が入ってきました。

 そのつもりで過ごしていたらドラフト会議の1週間前、西日本スポーツの一面に川崎宗則選手(独立リーグ「栃木ゴールデンブレーブス」、当時・鹿児島工高)と一緒にドラフト候補として出ました。「プロ野球選手になれるかも」と感じました。


――結果、鶴岡さんは指名漏れ、川崎選手は福岡ダイエー(当時)から4位指名でした。
 ムネ(川崎選手)がかかったときは悔しかったですね。同じ鹿児島で成績は自分が上なのに、先にプロに入るのはジェラシーを感じました。

 ただ、その後にムネがレギュラーでがんばっているのを見ていて「自分もがんばらないとな」とモチベーションは上がりましたね。

社会人野球へ プロテストで思わぬ落とし穴

――卒業後は三菱重工横浜に就職、社会人野球の道を選びました。
 「プロに行けない人が社会人野球をやるんでしょ」という感覚で入ったら、レベルの高さに自信がなくなりました。1回、プロへの道をあきらめかけた時期もありましたね。

 2年目には部からクラブチームになり、午前中までの仕事だったのが午後3時までの勤務に変わりました。海外用のゴミ焼却ボイラーを作る工場で働いていましたけど、本当にしんどかったですね。

 社会人野球は高卒3年間プロには行けないけど、特例でクラブチームは2年で行けるというルールがあったので、日本ハムのプロテストを受けに行きました。

 そこで山田正雄さん(元日本ハムGM)から「まだ権利がないから受けに来ちゃダメだぞ」と言われました。クラブチームでも1度チームが消滅しないと2年でプロ入りはできないルールだったことをテスト中に知りました。

口約束で半信半疑「誰から電話きたかも覚えていない」

――翌年の2002年、日本ハムからドラフト8位で指名されました。
 社会人3年目も目立った成績は出せなくて「このままならドラフトにかからない」と思い、チームに相談して日本ハムとダイエー、横浜のプロテストを受けました。

 日本ハムは、ちょうどキャッチャーを探していたらしく、口約束で「一番下で獲るから」と。今だったら育成契約でしょうね。

 口約束だったので半信半疑で、働きながら指名を待っていました。それから指名されて…誰から電話がかかってきたのかも覚えていないですね(笑)

 当時はテレビやインターネットの放送はないですし、記者会見や新聞社の取材もなかったです。


――同期には武田久投手(ドラフト4位)と小谷野栄一選手(ドラフト5位)がいました。
 あの時は不遇のドラフトと言われました(笑) 同期にセーブ王と打点王の紺田敏正さん(日本ハム・ファーム外野守備走塁コーチ)もいましたね。同期はがんばったと思います。

「痛い 痒い」は絶対言わないと決めた

――社会人野球とプロ野球の差は感じましたか?
 社会人野球と2軍の差は感じませんでしたけど、1軍と2軍の差は感じました。

 スローイングやブロッキングなどの技術もそうですけど、一番は体の大きさに差がありましたね。「こういう人が高校からプロに入るんだな」と思いました。

――プロ生活で大事にしていたことは。
 ちょっとしたことで「痛い、痒い」と絶対に言わない。骨折していても「痛い」と絶対に言わない。

 チャンスが他にいってしまう、すぐクビになりますから。「入ったら横一線」と言われるけど、それは絶対にないですよ。

 ドラフト1位は大事に育てられますけど、自分のドラフト8位という立場を理解していました。

 優勝が決まりそうな時期に足を捻挫して、トレーナーの肩を借りないと歩けないほどのケガでしたが試合に出続けました。

 でも、挟殺プレーは走れない。それを梨田昌孝監督に見られて交代させられました。自分から交代するとは一切言わなかったですね。

青木宣親選手も引退 ついにNPBの“同級生”ゼロに

――2021年に引退、現役生活は19年間でした。
 これだけ苦労したプロの世界ですから「自分から辞めるとは絶対に言わない」と決めていました。引退するのはオファーがなくなった時。実際にそこまで続けたので、自分との約束は果たしました。


――今年は同級生最後のNPB選手、青木宣親選手が引退しました。
 糸井嘉男選手、鳥谷敬選手も引退して…。寂しさというか「ついに同級生がいなくなったか」という感じですね。

 ムネはがんばっていますよね。青木選手はエリートではなくて、高校時代も隣の宮崎県でしたけど存在は知らなかったです。

 イースタンリーグで青木選手のレベルの高さを見て驚きましたね。同級生が40歳を過ぎてもモチベーション高くやっている姿を見ていると本当に尊敬します。彼らみたいに成績を残してやめていけるのはすごいことです。

プロを目指す子どもたちへ伝えたいこと「運をつかむ準備を」

――これからプロを目指している子どもたちに伝えたいことは?
 練習するのは当たり前です。1つ言えるのは正直、運の部分がものすごく大きい。

 ドラフトで指名されるのも、その後に長くやれるのも運。僕は運があったと思います。

 “運をつかめるチャンス”がどこで回ってくるのかわからない。「つかむ準備」は365日24時間しておかないとチャンスが来ていることすらきづけない。そのためにも常に野球のことを考えて練習を続けることが大事です。

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