近鉄とオリックスとの球団合併から、もう20年もたつ。球界再編で誕生した楽天で私は監督を務め、オリックスにはバファローズの名称が残った。それでも、両球団に強く帰属意識を持てたことはなく、古里がなくなったという喪失感は変わらないままだ。  合併交渉は2004年6月13日、午前中にテレビのニュースで知り、本拠地球場で球団幹部に説明を求めたが、その人も寝耳に水だった。同年1月にチーム名の売却騒動が起き、何があってもおかしくないとは思った。誤報だろうなどと楽観的には捉えなかった。  消滅を阻止しようと、地元島根の政治家を通じ、「参院のドン」青木幹雄さんに“陳情”に出向くなどしたが、結論を変えられる問題ではなかった。  一方、さらなる球団削減による1リーグ制移行は阻止された。われわれのような思いをする人を、それ以上は出さなかった。古田敦也会長をはじめ選手会の尽力には感謝しかない。1リーグ制になっていれば、私の楽天監督はなかったし、大谷翔平(ドジャース)の日本ハムでの二刀流もなかったかもしれない。


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