【ソフトバンク-オリックス】オリックスに勝利してファンの声援に応えるソフトバンクの小久保監督=みずほペイペイドームで2024年9月20日、野田武撮影

 プロ野球は23日、福岡ソフトバンクホークスが4年ぶりのパ・リーグ制覇を果たした。小久保裕紀監督(52)は就任1年目で、2020年まで日本シリーズを4連覇した「常勝軍団」を復活させた。チームOBでもある指揮官は、「王イズム」を継承したチーム作りで、20回目の優勝へと導いた。

 4月上旬、本拠地・みずほペイペイドーム福岡(福岡市)に隣接する王貞治ベースボールミュージアムで、特別企画展が開かれた。その名は「小久保裕紀新監督のすべて」。華やかな野球人生を写真やゆかりの品で振り返る内容だった。

 会場の一角には「出会い」と題するコーナーがあった。これに見入った小久保さんは「今があるのは王監督との出会いがあったから」と口にした。

 小久保さんは和歌山・星林高から青山学院大に進み、1993年のドラフト会議で2位指名を受け、ソフトバンクの前身のダイエーに入団した。92年バルセロナ・オリンピックでは大学生で唯一代表入りして銅メダルを獲得。アマチュア球界のスター選手だった。

 そして、入団2年目の95年に監督に就いたのが「世界の王」こと王貞治さん(84)=現ソフトバンク球団会長=だった。

 この年、小久保さんは本塁打王に輝き、主力に成長する。やがて「主力は常にチームの先頭に立って若手を引っ張り、堂々とすべきだ」と指導を受けるようになる。主力なら常に先発し、チームを勝利や優勝に導くのは当然といえば当然だ。しかし、その指導の真意は別の点にもあった。

 99年、小久保さんは4番として不振にあえいでいた。シーズン途中、王さんに「4番を外してください」と申し出たことがあった。返ってきた言葉は「勝敗の責任は俺が背負っているのだから、そんなことは考えるな」だったという。

 球場にはさまざまなファンが訪れる。その日の観戦が人生最初で最後の人もいるかもしれない。小久保さんは既にプロでもスター選手になりつつあった。しかし、人生最初で最後の観戦でスターを見られなかったら、どれだけがっかりするか。そんな思いをさせないため、王さんは現役時代、先発にこだわり、監督になっても小久保さんら主力にそれを求めてきた。

 小久保さんは「大敗している試合でも、せめて僕のホームランでも見てもらおう」という意識に変わったという。右膝の大けがなどもありながらも、そんなファン重視の「王イズム」を受け継ぎ、12年に引退するまで実践を目指してきた。

 そして、小久保さんが今季、王イズムの継承を求めたのは生え抜きの柳田悠岐(35)、西武から加入の山川穂高(32)、日本ハムから昨季移籍してきた近藤健介(31)の3選手だった。シーズン序盤に3人を毎試合、先発起用することを明言した。柳田選手は5月末に故障で離脱。近藤選手も9月中旬に右足首のけがで1軍を離れたが、それまでは全試合に出場し、山川選手とともに打線の主軸を担った。小久保さんは「毎試合何か一つ『今日は球場に来て良かった』と、ファンの方に思ってもらえるようにしたい」と何度も口にしていた。

 昨年10月の監督就任の記者会見で、小久保さんは「古き良きものと古臭いものをしっかり選別する」と宣言した。「古臭いもの」の選別としては試合前練習で、酷暑対策としての短パン着用なども取り入れた。一方で「古き良き」も守りながらペナントを奪還した。【林大樹】

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