ソフトバンクの入団記者会見で、ユニフォームを着て三笠杉彦GM(左)と写真に納まる山川穂高内野手=ペイペイドームで2023年12月19日午後1時53分、吉田航太撮影

 プロ野球のパ・リーグを4年ぶりに制したソフトバンク。王座奪還の原動力は、22日現在でチームとしては得点、本塁打数、打率のいずれもリーグ1位の強力打線。そして、一貫して打線を支えたのは、一時は不振にあえいだ山川穂高だった。

 「異常なくらい不調だと思います」

 6月16日に交流戦を終えた山川は、苦しい胸の内を明かした。

 5月末までは12本塁打、45打点とリーグトップの活躍を見せていた。しかし、6月は交流戦終了時まで本塁打は0本。突如ボールが飛ばなくなり、ホームランを期待する声援は次第に小さくなった。

 今季の山川に対するファンの目は厳しかった。西武からフリーエージェント(FA)で加入が決まったが、昨季は女性トラブルもあり、獲得見送りを求める声も球団へ届いた。

 だが、球団は右の強打者不足の解消などを目的に獲得を決断した。山川自身は今季を「マイナスからのスタート」と位置づけ、「目の前の試合に全力で取り組んで結果を出すだけ」と決意していた。

 チーム内での立ち位置が決まるのは早かった。シーズンを前に首脳陣が検討したのは「打線の軸となる4番を誰にするか」。それも程なくして「山川」で一致したという。チーム関係者によると、同時に3番・柳田悠岐、5番・近藤健介を据える打順も固めた。

 その打線は早々に機能し、開幕から順調に白星を重ねる。4月4日に首位に立つと、着々と独走態勢を築いた。5月末に柳田が右太もも裏の肉離れで離脱した後は、2021年東京オリンピックの野球日本代表の金メダルメンバーでもある栗原陵矢が入り支えた。

 一方、山川の苦境は続いた。元々は試合後や休日の練習を日常とするタイプで、遠征先でバットを持って宿舎へ帰る姿も珍しくない。「打撃が上向くには毎日の練習と修正の積み重ね」と地道な練習で調子を維持する。

 ただ、交流戦後の2日間の休日はバットから離れたという。「プロ入り後で初、離れてみて気がつくことがあるかもしれない」。それでも復調への糸口はつかめずにいた。

 転機は、自らは選手、小久保裕紀監督は全パのコーチとして参加したオールスターだった。シーズン中は技術面での助言を極力しない小久保監督と会食して打撃論を交わした。

 すると球宴後、当たりが戻り始める。8月の本塁打は今季で月間最多となる11本を放った。山川は「ホームランが調子のバロメーター。打てなければ当然悔しいが、小さいことでも今できることをと思いやってきた」。

 小久保監督も「不動の4番。苦しんだ時期もあったが優勝に向けた主力の責任とタフさがチームとして助かった」とたたえる。そして、4月4日から首位を守り続け、シーズンを制した。【林大樹】

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