パリ五輪柔道混合団体で銀メダルを獲得した、高山莉加選手が23日、母校の鹿児島南高校を訪れ、高校時代に思いをはせながら今の気持ちを語りました。
「“地獄”の日々を…(笑)楽しかった青春を思い出します」
母校・鹿児島南高校を訪れた高山莉加選手。
高山選手はパリ五輪で、個人78キロ級と混合団体に出場。とくに団体決勝のフランス戦では、自分より階級が上の相手に対し、ひるむことなく最後まで攻め続け、豪快な大内刈り!!技ありを奪い、勝利をつかみとりました。
高山選手
「戦う前は本当に怖くて恐怖しかなくて、畳に上がったらそこはもう1対1なので怖さはなく『やってやろう』という気持ちがあって、思いっきり爪痕を残すじゃないけど『いっちゃえ!』というつもりで技をかけたら相手も倒れたので運が良かった」
最後まで諦めることなく攻め続ける姿勢がもたらした銀メダルでした。
校舎に入ると、柔道部の後輩や職員に拍手で迎えられました。
柔道部の後輩
「オリンピックお疲れさまでした感動をありがとうございました」
「すごい!重い!」
「本当に(銀メダルは)重くてこれが世界で戦う方々の重さなんだなと実感した」
「莉加先輩みたいに諦めずに大きい相手にも立ち向かって戦っていきたい」
高山選手は「身を削った3年間だったこの3年間があったからこそこうやってメダルを取って帰ってこられたのかなと思います」と、高校時代がいまの礎となったことを語りました。
このパリ五輪が、柔道人生の集大成だと決めて臨んだ高山選手でしたが今、その気持ちに変化が生まれています。
「一年一年を大事にして最終的に4年後、ロサンゼルスのオリンピックに出場して金メダルを取ることが私の目標です」
と、力強く宣言した高山選手。校内の石碑には鹿児島南高校出身の歴代のオリンピック出場者が刻まれていて、高山選手の名前も刻まれました。
「また、名前彫ってもらえるように頑張ります」
高校時代を過ごした鹿児島から世界に羽ばたいた高山莉加選手。鹿児島で技を磨いた誇りを胸に、4年後の大舞台を見据えています。
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