日本代表の公開合宿でプレーを確認する橋本勝也(中)
◆東京で涙「パリではチームの中心に」
今も鮮明に覚えている。東京パラの3位決定戦でオーストラリアに勝ち、チームが2大会連続の銅メダルを獲得した直後のことだ。金メダルを目指していたからこそ、喜ぶ選手は誰もいなかった。出場機会のなかった橋本は、長年代表を支えるエース池崎大輔(三菱商事)から声をかけられた。「悔しかっただろ。勝也にはまだ先があるし、自分を超えられる選手だと思っている。待ってるぞ」パリ・パラリンピック代表発表会見で記念撮影する橋本勝也(中)。後列左は島川慎一、右は池崎大輔
込み上げる涙をぬぐうこともできず、心に誓った。「パリでは必ず、自分がチームの中心になる」と。引退後の生活を見越した地元・福島の町役場勤務をやめ、競技に専念できるアスリート雇用へ。攻撃をけん引する池崎、池透暢(ゆきのぶ=日興アセットマネジメント)、島川慎一(バークレイズ証券)の3人は全員40代。「自分が早く代表を引っ張れるようにならないと世代交代できず、日本が積み上げてきたものが一気に崩れてしまう」と危機感にも駆られていた。◆甘さを断ち切り、東京のチームへ
中学2年で競技を始め、わずか2年で代表入り。順風満帆に進む中で「甘さがあった」。所属を変えてから、平日は福島での個人練習で車いすの扱い方を徹底的に鍛え、週末は東京で代表選手たちのクラブチームに交じって試合感覚を養うようになった。「月の半分は東京にいる。ひどいと福島に5日くらいしかいないときもある」。粗削りだったプレーは精度を増し、持ち味の素早い車いす操作はさらに磨きがかかった。試合中は一回り以上年上の選手にも臆せず指示を出す。東京パラリンピック準決勝 日本―英国 第4ピリオド、パスを出す橋本(中央)=2021年8月、国立代々木競技場で(戸田泰雅撮影)
東京パラ後のクラス分けで、持ち点はチームで一番障害の軽い3.5点になった。同じ点数には、オーストラリアのライリー・バット、カナダのザック・マデルら各国に名プレーヤーが存在する。「負けるつもりは全くない。各選手の良いプレーをとって、独自のものに変換していきたい」と頼もしい。 2018年8月の世界選手権。細かいルールもしっかり分からないまま代表に呼ばれ、日本初の金メダルを見届けた。直後に島川から「次はおまえの番だぞ」と発破をかけられ、よく考えもせず、軽く「はい」と答えてしまったのを悔やんでいる。 その言葉の重みが分かる今、目の色を変えて先輩3人の背中を追う。この競技で日本初のパラリンピック金メダルへ。全てのプレーヤーを超えるだけの覚悟がある。橋本勝也(はしもと・かつや) 22歳、福島県出身。パリ大会の車いすラグビー1次リーグで、日本はドイツ、米国、カナダと同組。9月1日に準決勝、2日に決勝が行われる。
◇ <連載:マイ・ウェイ! パリ・パラリンピック>パリ・パラリンピックは8月28日に幕を開ける。十人十色の道のりでトレーニングを積んできたパラアスリートたち。初出場選手から複数出場を重ねるベテランまで、それぞれの歩みをたどり、本番への覚悟に迫る。(兼村優希)
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