パリ・オリンピック第15日は9日、卓球男子団体3位決定戦が行われ、日本はフランスに敗れて3大会連続のメダル獲得はならなかった。
リーダーはいなくても
地元フランスの大歓声にのみ込まれた。準決勝の大逆転負けに続く悔しい敗戦でメダルを逃し、選手は肩を落とした。
団体種目が五輪に導入されたのは、2008年の北京大会から。実施2大会目の12年ロンドン大会以降、男子の団体メンバーには、常に25歳以上の五輪経験者が名を連ねてきた。
「卓球はメンタルスポーツ」と選手や競技関係者は口をそろえるが、団体戦ではチームをまとめ、引っ張っていくリーダー的存在が重要だ。メダルを獲得した過去2大会は、ベテランの水谷隼さん(35)がその役割を担った。東京五輪にも出場した張本智和選手(21)は、水谷さんらの存在のおかげで「(団体は)シングルスよりもプレッシャーなく戦えた」と振り返る。
だが、今回は違った。
2回目の五輪を21歳で迎えた張本選手に加え、ともに初出場の戸上隼輔選手は22歳、篠塚大登選手も20歳とチームは大きく若返った。エース役は世界ランキングが1桁の張本選手が務めるが、リーダーはいない。張本選手は「全員が全員をカバーし合うチーム」と語る。
今大会でも、年齢の近さがなせるコート外での「カバー」があった。張本選手は混合ダブルスの初戦で北朝鮮のペアに敗れ、試合後、相部屋の2人の前で「愚痴」が止まらなかったという。その愚痴を、戸上選手と篠塚選手はうなずきながら聞き流していた。
2人が何かアドバイスを送るわけではない。だが、張本選手にとっては「吐き出すことで自分の気持ちは楽になる。僕は本当に自己中なんですけど、人の話を全然聞かなくて、(愚痴にも)反論されるとイライラしてしまう。2人はそれをよく分かってくれていて、ただ話を聞いてくれる」。戸上選手によれば「いつも通り」の関係だそうだ。
初出場の篠塚選手は選手村への入村後、試合への緊張を和らげるためにチーム内での会話を増やそうと考えていた。ところが、「意識しなくても常にコミュニケーションを取っていた。年も近くて、本当に仲が良いので」。
ネットを挟んで相対すればライバル。だが、一歩コートを離れれば「友達」(張本選手)。お互いが何を考え、求めているのか。「五輪だから」と深く考えなくても、自然と行動に移して支え合っていた。
コートに立てば互いを刺激する。台湾戦ではエース対決を落とした張本選手を、戸上選手がダブルスとシングルスで2勝して救った。気迫を前面に出す張本選手のプレーに、戸上選手は「見ていると、自分もできるって思わせてくれた」。
3人とも20代前半で、まだまだ先は長い。勝利まであと1ゲームに迫りながら、届かなかった決勝の舞台。完全アウェーでプレーした経験。中国との対戦はかなわず、メダルには一歩届かなかった悔しさ。どれも、成長の糧になる。
男子の田勢邦史(たせいくにひと)監督は「若い子たちがこの経験を経てどう成長するか、楽しみでしかない」と期待を込める。
打倒中国、悲願の金メダルは4年後に持ち越しとなったが、若武者が目にした光景は大きな財産になる。【パリ玉井滉大】
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