体操男子種目別鉄棒決勝、着地に向かう岡慎之助=ベルシー・アリーナで2024年8月5日、玉城達郎撮影

 15歳だった高校1年の春に地元岡山を離れて、社会人強豪・徳洲会体操クラブ入りし、腕を磨いてきた岡慎之助選手(20)=徳洲会。2004年アテネ・オリンピック団体総合金メダル、米田功監督(46)との出会いが未熟だった精神面を大きく成長させ、パリ五輪での団体総合、個人総合、鉄棒の3冠につながった。

 「例えば初恋をしてフラれたらどうしよう、恥ずかしいなとか。だから好きと言えなくなる。(その)経験があれば、伝えないと分からない、仲良くなるために工夫して、できることをやってみよう、となりますよね」

 米田監督が選手に対して、体操への姿勢や物事の考え方を教える時の表現は少し独特だ。身近な日常生活の中にある似たような感覚に例えて選手の理解を促していく。米田監督は技術指導よりも「戦い方」など精神面の強化を重視する姿勢で選手たちと接してきた。

 岡選手も徳洲会に入りたての頃は、練習のサイクルがうまくいっていなかった。本人は「失敗したり、ミスしたりしてもずっと放っておく感じ。普通はなんで失敗したかの原因を探ると思うけど、あまりそういう気持ちが起きなかった」と振り返る。当てもなく、練習を繰り返す岡選手に、米田監督は「失敗をするしないというよりも、ミスの仕方やミスした後の話を丁寧にした。ダメな時にもういいやとなると『失敗は成功のもと』という公式が成り立たなくなるよ、とは何度も伝えた」と根気強く声をかけた。

 試合中に一つでもミスが出ると気落ちしがちだった岡選手の精神的な弱さも、「次にできる最善策は何かを、すぐに考えられるようになった」(米田監督)と改善されていった。岡選手も「徳洲会に来て、精神的な部分や考え方についてはすごく成長することができた。自分で練習や試合のフィードバックをきちんとできるようになって、効果的に練習を積んで、気持ち的にも強くなった。それが今に生きている」と語る。

 クラブの充実した環境も成長を後押しした。コーチやトレーナー、栄養士の存在はもちろん、医療法人のチームだけに病院とも連携したサポートを受けられることは、ケガの多かった岡選手にとっては大きなプラスになった。五輪前には本番で使用されるフランス製器具も取り寄せて、不安を払拭(ふっしょく)できるように支えた。

 パリではほぼミスのない演技を並べて、メダルを連発した岡選手。15歳で社会人強豪クラブ入りという異例の歩みが、自分にとっては正しい道であることを示した。【パリ角田直哉】

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