パリ・オリンピックで52年ぶりのメダル獲得が期待されるバレーボール男子日本代表。そんなチームを左利きのエースアタッカーとして支えるのが、いなべ市出身の西田有志選手(24)=大阪ブルテオン=だ。海星高校在学中、監督として指導した大西正展部長(61)とコーチだった井口拓也監督(35)が教え子の高校時代を振り返った。
「今ではメンタルが強いと言われていますが、当時はガラスのハートでやんちゃな子でした。日の丸を背負う選手になるなんて思ってもみなかった」。非常に攻撃能力の高い「オポジット」と呼ばれる日本のスーパーエース、西田。大西部長がその記憶を呼び起こすと、隣で聞いていた井口監督も笑顔でうなずいた。
大西部長は西田が中学1年の時に初めて出会った。公立高校の教諭を辞め、海星高校の監督に就任すると同時に、知人の依頼で新たに結成された中学生のクラブチーム「NFO オーシャンスター」の監督を引き受けた。そこに西田がいた。
「チームのエースは他にいて、西田はレギュラー6人のうちの1人という感じ」。身長160センチ後半の丸刈りの少年は目立った存在ではなかった。だが、入団して半年もたつと一変。持ち前のジャンプ力で、中学1年ながら一般男子のネットの高さ243センチ(現在の中学男子は230センチ)でもスパイクを打ち込めるようになった。そして中学2年から2年連続で県選抜に選ばれた。
大西部長の誘いもあり、当時全国大会出場の経験がなかった海星高校に入学。負けず嫌いで練習好きなこともあって1年でエースを務め、2年時には国民体育大会(当時)の県代表選手に選ばれた。
ただ、メンタル面では課題も。「気持ちに波があって安定感がなかった。体は早熟だけど心は幼かった」。試合中に「自分が得点を決める」と熱くなり、周囲が見えなくなることもあった。
そんなエースを徹底的に指導したのが、西田が高校2年の秋にコーチに就任した井口監督だった。「先頭に立ってチームを勝利に導かなければいけない選手。だけど自分一人でバレーをやっている感じがあり、周りがプレーしにくい雰囲気があった」
ある日、学校の正面玄関に呼んで「バレーボールより、人としてチームの役割、振る舞いや行動を考えなさい。人に迷惑をかけないことが大事」と説いた。すると、自らの言動に気づいたのか、少しずつ率先してコミュニケーションを取るなどチームワークを大切にするようになった。
3年になったばかりの4月にはU-19(19歳以下)日本代表に選ばれ、アジアユース男子選手権で優勝。7月には同校初の全国高校総体出場を果たし、ベスト16に入った。大西部長は「実力のあるメンバーがそろっていたのは間違いないけれど、西田がいなければ全国に出場することはできなかった」と語った。
卒業後、プロになり、日本代表に上り詰めた教え子の活躍はテレビで見守っている。大西部長は「レシーブやトスを見ていると下手でひやひやします」と冗談を交えつつ「期待し過ぎるのはよくない。パリでは誰にも恥ないプレーを見せてほしい」と言う。井口監督も「けがだけはしないで頑張ってほしい」とエールを送った。【渋谷雅也】
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