2024年7月26日に開会式が行われるパリオリンピック。福井県勢オリンピアンで体操女子のエースでありキャプテンでもある宮田笙子選手に意気込みや地元への思いを聞くと、自分を育ててくれた恩師や、“みんなのために”という思いにあふれていた。
卒業後も鯖江から日本のエースへ
体操の名門・順天堂大学2年の宮田笙子選手は、京都市出身の19歳。4歳から始めた体操の技術を磨くため、中学3年生の時に福井・鯖江市の中学に転校した。
この記事の画像(10枚)体操の強豪・鯖江高校を卒業した後も、練習拠点は鯖江に置いている。宮田選手は「高校のころからいい練習環境でできていることや、目標を高めていく中で後輩の支えがあることが大きい」と話す。
宮田選手は、4月の全日本選手権、5月のNHK杯でトップの成績を残していて、“体操日本女子のエース”、そしてキャプテンとしてパリオリンピックに臨む。
「自分より年下の選手ばかりなので、メンバーのことを知ってまとめたいし、エースとして失敗しない演技、信頼される演技をオリンピックまでに積み上げていきたい」と意気込んでいる。
高校時代から指導する鯖江高校体操部・田野辺満監督は「オリンピックがこの時期にあるのはわかっていたので、そこに向けての5年間は順調にきている。細かいことを今更言っても仕方がないので、いいコンディションやメンタルで大会に臨んでいけるように後押しをしたい」と話す。
宮田選手にパリオリンピックへの思いを聞くと「パリオリンピックに内定してうれしいというよりは責任を感じた。今まで戦ってきた仲間たちの涙や思いを、つながなきゃいけないと感じた」と胸の内を明かしてくれた。
見守ってくれる亡き恩師のために
鯖江での5年間について、「鯖江高校を卒業してからもここにいることを想像できていたわけではない。ここまで成長させてくれた田野辺先生や小竹先生の存在が大きい」と振り返る。
宮田選手が語る「小竹先生」とは、鯖江市出身で日本体操協会の副会長も務めた小竹英雄さん。1995年にはアジアで初めて体操の世界選手権を鯖江に誘致し、“体操のまち鯖江”の礎を築いた人だ。中学生だった宮田選手をスカウトした小竹さんは、2023年10月に81歳で亡くなった。
宮田選手は時折、言葉を詰まらせながら「小竹先生の夢…オリンピックを、生きている間に見せてあげたかった思いはあるが、今も見てくれていると思うので、亡くなられてからも試合前や後には報告に行っている。絶対に試合は見てくれていると思うし、オリンピックの会場にも来ると思う」と小竹さんへの思いを語った。
亡き恩師のために、そしてこれまで戦ってきた仲間や、鯖江のために宮田選手はパリに挑む。
“絶対失敗しない演技”でメダルを
19歳の宮田選手は「若さのある力を見せたい。個人総合や種目別でもメダルを狙いたいし準備もしている」と話す。
一方で、「しっかりみんなでつないで、団体のメダルをまずは取りにいきたい。みんなのために“絶対失敗しない演技”を作っていきたい」とキャプテンとして力強く語った。
体操日本女子60年ぶりの団体のメダルを目指す宮田選手。最後に県民への思いを聞いた。
宮田笙子選手:
外に出たら声をかけられてうれしいし、応援してもらえて自分にとって励みになるので、期待を力に変えられるように練習をして、県民の思いをもってオリンピックにいきたい。
パリオリンピック女子の体操は、日本時間の7月28日から予選が始まる。7月31日に団体決勝、8月2日に個人総合の決勝があり、3日からは種目別の決勝で、3日が跳馬、4日が段違い平行棒、5日が平均台とゆかが予定されている。
福井テレビの公式YouTubeチャンネルでは、今回のインタビュー映像に加え、宮田選手が福井に来て好きになったものや帰ってきたらやりたいことについても聞いている。
(福井テレビ)
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