設立30周年行事で記念撮影に臨む男組のメンバーら(男組提供)

1993年5月のJリーグ開幕に興奮したあまり、自分たちもボールを蹴りたいとの思いを募らせ、結成されたシニアチームが創立30周年の節目を迎えた。大阪を拠点にしている「男組」(久松啓次代表)。今年3月に堺市立サッカー・ナショナルトレーニングセンター(J-GREEN堺)で記念行事を行って円熟味の増したプレーを披露し、旧交を温めた。

居酒屋の名前から命名

設立メンバーは京都大学を中心に大阪・天王寺高校や同・茨木高校、大阪府警のチームに所属していた約50人。94年3月に伊藤忠商事大阪総合グラウンド(現宝塚市立花屋敷グラウンド)で初蹴りを行い、これまで茨城・鹿嶋遠征(97年)や、フランスワールドカップ(W杯)遠征(98年)など、日本サッカー界の発展と歩調を合わせるように、国内外で活発な活動を行ってきた。

W杯日韓大会が開催された2002年には東京男組も結成。大阪府スポレク大会や大阪府マスターズ大会にも出場し、優勝を飾ったこともある。30年間の通算成績は1124試合を戦い、595勝184分け327敗(勝敗不明が18試合)と大きく勝ち越している。

エンブレムは兵庫県生まれの漫画家、イラストレーターのタテノ・カズヒロ氏が作成。ユニホームも何度か変わったが、30周年を記念して黄色を基調にした特別ユニホームをつくった。

「男組」の名前の由来は、市電の京大農学部前駅にあった居酒屋「出世男」。当時、練習を終えた京都大学サッカー部の部員らがたむろしていた。世話好きなマスター(故人)のお世話になった部員も多く、店の名前から一字をとって命名したのだという。伝統は受け継がれ、練習や試合後に参加者同士で杯を傾けるのが男組の一般的なスタイルとなっている。

シニアサッカーますます盛んに

グラウンドに整列する男組のメンバーら(男組提供)

日本のシニアサッカーは近年、急速な盛り上がりを見せており、日本サッカー協会に登録している選手数も右肩上がりとなっている。シニア(40歳以上)のカテゴリーの集計が始まった2000年の登録者数は4669人だったが、23年には約10倍の4万4038人となっている。

また、東京都シニアサッカー連盟が昨年からO-80(80歳以上)のリーグをスタートするなど、いくつになってもサッカーを続けられる環境が生まれつつある。男組が本拠を置く関西もシニアサッカーが盛んな地域で、昨年の全日本O-70サッカー大会は兵庫県選抜が初優勝を飾った。

背景には、他のカテゴリーとは一線を画し、多くのチームが練習の際に門戸を開放し、他のチームの選手を快く受け入れていることが挙げられる。男組の選手も他のチームでもプレー。昨年に蹴球ノートで取り上げた「花屋敷蹴球会」にも、男組と掛け持ちでプレーしている選手がいる。

花屋敷蹴球会は前述の宝塚市立花屋敷グラウンドを拠点に活動しているクラブ。蹴球ノートで紹介した後、サッカーの本場である欧州のスコットランドから取材依頼があったそうで、いくつになってもボールを蹴り続けることが、日本人の健康寿命につながっているのではないかとの視点でインタビューを受けたという。

Jリーグとともに歩み、30周年を迎えた男組も、ますます意気盛ん。久松代表は記念行事のあいさつで「(30周年は)サッカーとお酒に対する熱い気持ちのたまもの。感謝するとともに、さらなる飛翔を目指して大いにサッカーを縁JOY(エンジョイ)しましょう」とメンバーらに呼びかけた。

(サンケイスポーツ編集委員)

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