口で弓を引く大江佑弥選手=本人提供

 かっこいい父親であり続けたい。その一心で夢を射止めた人がいる。今夏のパリ・パラリンピックのアーチェリー男子コンパウンドの代表に内定した岡山県倉敷市職員の大江佑弥選手(36)。右半身まひを乗り越えて挑む初の大舞台に向け、「目標は金メダルしかない。世界チャンピオンを目指す」と意気込んでいる。

 日中は同市玉島支所で窓口業務に就き、夕方に帰宅して自宅の敷地内に設けた練習スペースで感覚を磨くのが日課だ。

 矢を弓にセットするのは、利き手ではない左手。弦に装着した布を歯でかみ、左肘を伸ばして弓を引く。じっと狙いを定めて口を開くと、矢は50メートル先の的に向かって飛んでいく。大江選手は「他にこの撃ち方をする人はあまりいませんが、自分は競技を始めてからずっとこのスタイルなので、これしか知らない」とほほ笑む。

 倉敷市出身。小学校時代はソフトボール、中学に進んでからは野球に打ち込み、高校時代は強豪の倉敷商で活躍。甲子園出場の夢はかなわなかったものの中堅手のレギュラーを務め、卒業後はJFE関連の会社に就職して軟式野球を続けていた。

強豪・倉敷商の中堅手として活躍した高校時代の大江佑弥選手=本人提供

 だが、2011年夏に異変が起きた。日ごとに右半身が動かなくなり、病院に行くと脳出血と診断された。治療とリハビリで職場に復帰したが、14年4月と15年4月に再発。特に3度目は日ごとに体調が悪化し、半年のリハビリを経ても右半身の感覚が戻らなかった。

 落ち込む気持ちがなかったわけではない。ただ当時、長女は1歳で、長男は生まれたばかり。「落ち込んでばかりではいられない。もう第2の人生だと腹をくくって退院した」という。

 退院後、「普通のお父さんならできることも自分にはできない。何か違うことをしてトップを目指そう」と取り組めるスポーツを探し始め、選んだのがアーチェリーだった。日本代表で活躍した口で弓を引く選手の写真を見て「これだ」と、16年1月に市内の障害者アーチェリーのクラブに足を運んだ。初めは思うように弓が扱えず、3メートルの距離でも当たらなかったが、徐々に矢が的を射抜くようになると、その面白さに魅了された。「健常者とも一緒に戦える。中途障害の私にとっては、それも大きな魅力だった」

 17年4月に倉敷市役所に入庁し、10月の全国障害者スポーツ大会の30メートルダブルラウンドで優勝。18年には県の強化指定選手となり、22年には健常者とともに戦った全日本ターゲットアーチェリー選手権の男子コンパウンドで準優勝を果たした。さらに、23年11月にバンコクで行われたパラリンピック・アジア大陸選考会で優勝して出場枠を獲得し、今年3月に代表内定を得た。競技を始めてから8年あまりで世界ランキングは6位まで浮上し、「まったく的に当たらないマイナスからのスタートだったが、競技を始めた時から『日本代表になって世界で活躍する』という思いでやってきた」と大江選手。その強い思いを支えたものを問うと、「やはり子供の存在が大きい」。パリには家族も応援に駆け付けるという。

 2人の子供には、世界の頂点を目指して弓を引く父の背中がどんなメダルより輝いて見えるはずだ。【平本泰章】

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