祖父の船の帰りを待つ及川真乃愛さん。生まれたときから海のそばで暮らし、海とともに生きてきた=宮城県南三陸町で2024年3月17日、喜屋武真之介撮影
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 東日本大震災後にできた防潮堤の上から早朝の海を見つめ、祖父の船の帰りを待っていた。

 宮城県南三陸町で生まれ育った及川真乃愛(まのあ)さん(12)にとって、ワカメの収穫が始まる春先は楽しみな季節だ。小学2、3年生のころから、週末は漁港のそばに親戚と集まり、メカブの茎取りを手伝うのが恒例になっている。「無心になれるのがいい」。慣れた手つきで黙々と作業する真乃愛さんの成長を、周りの大人たちも目を細めて見守ってきた。

 父の真さん(当時33歳)は2011年3月に津波にのまれ、4月に遺体で見つかった。その約2週間後に生まれた真乃愛さんは、父の姿を写真でしか知らない。祖父母らと同居し、さみしさを感じたことはないが、一人でぼんやりしているとき、ふと「会いたかったな」と思うときもあるという。

 その一方で、兄の翔世(しょうせい)さん(18)に比べ、「私はあんまりお父さんに似ていない」と感じていた。外見だけでなく、野球やバドミントンなどのスポーツに積極的に取り組んでいたことも、自分とは違っていた。

 そんな中で最近知ったのは、「インフルエンザとかにはかからないけれど、口内炎とか、ちょっとした風邪にはよくなる」という父との共通点だ。翔世さんがインフルエンザにかかっても、真乃愛さんが感染したことは一度もない。何気ない家族の会話で知った父とのつながりを「うれしかった」と振り返る。

 震災時、切迫早産で入院していた母ゆかりさん(46)は、真さんの火葬にも立ち会えず、死を受け入れきれずにいた。真乃愛さんには「震災や父親の死を無理に背負わせたくない」と、真さんのことを積極的には語ってこなかったという。だが、ここ数年は真乃愛さんが成長していく姿を見て、聞かれればなるべく答えるようにしている。「父親のことだから、あの子にも知る権利がある」

 今年、真乃愛さんは中学生になった。「けんかしたことない」というほど仲の良い翔世さんは大学進学で1人暮らしを始めた。昨年には同居していた曽祖母が介護施設に入った。幼いころから当たり前だった身の回りの世界は、少しずつ変わりつつある。

 だからこそ、3月にあった小学校の卒業式で「家族のみんなへ」と題した手紙をゆかりさんに贈った。「父がいない事はとても悲しいです。でも、みんなが笑顔で背中をおしてくれたから、私はここまで成長できたと感じてます」【喜屋武真之介】

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