約30年続いたデフレで、私たちはモノやサービスの値段が変わらないことに慣れてしまった。物価高の時代に突入し、これからのお金のやりくりの羅針盤になってくれるのが、家計簿だという。家庭だけでなく、日本経済を救う力もあると力説する財政学者もいる。日本で生まれたという家計簿の効果と可能性を探った。
まず、家計簿活用の大ベテランに会いに行った。相模原市の山崎美津江さん(76)。結婚5年目から48年間、家計簿を付け続けている。
学生結婚した山崎さんは当初、義父からの月5万円の仕送りだけが収入源で、いつもお金が足りなかった。長女が生まれ、いよいよ困った時に近所の人が教えてくれたのが、家計簿を付けることだった。
一家の日々の収支を記録する習慣は、江戸時代にもあった。だが、費目ごとに管理してバランスを調整するような家計簿は、出版社「婦人之友社」を創設した羽仁もと子が、120年前の1904(明治37)年に世界に先駆けて考案したとされる。近所の人が使っていたのは、この家計簿だった。
特徴は、年の初めまでに費目別の予算を組んでおくこと。食費なら「主食」「副食」「調味料」などに細分化し、月ごとの収支を計算する。「初めは手間取りましたが、慣れれば苦ではない」と山崎さん。毎夕、手書きで記帳する日課はずっと変わっていない。
記録は全て残してあり、今はパソコンの表計算ソフトにも入っている。収支の記録は、そのまま山崎家と、その時代の庶民の暮らしを映す鏡だ。ちなみに昨年までの47年間で納めた税金の累計は4032万円。食費の3054万円より多い。
家計簿を付けることは、倹約以上に「思い切った支出」の決断に役立つ、と山崎さんは感じている。「予算という『物差し』があるから、この予算をオーバーするならこちらを削ろう、と頭の切り替えができる。消費の方向性が定まり、後悔が減ります」
18年前、長女が大病を患って入院し、看病のため家を空けた。1週間ほど家計簿を付けられず「心もとない、何とも言えない不安」に陥ったという。家計簿は自分と社会とをつなぐツールでもあると受け止めている。
山崎さんは「生活とは、置き場所を決めること」と考えている。モノなら収納、時間なら予定、お金なら予算。あらかじめ決めておけば、先を見通す余裕が生まれ、周囲に流されにくくなる。インフレ局面になった今だからこそ「本当に必要なものは何かを考え、家計簿でその答え合わせをすることが、安心につながる」と話す。
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「皆が家計簿を付けるようになれば、政府も無駄遣いをやめるのでは」。こう指摘するのは、慶応大の井手英策教授(財政社会学)だ。
優先度を考えて予算を組み、それに従ってお金を使うというプロセスは、家計も国家財政も同じ。ただ、家庭は「まず収入ありき」なのに対し、国家は使う額を決めてから、そのために必要なお金を税で集めるのが、古来の原則だという。
しかし今の日本は、税では集めきれずに国債発行で借金を重ねている。「これでは、国家財政が税金という痛みの分かち合いで成り立っているという感覚を、国民が持てない。だから税金は『取られ損』だと思ってしまう」
国は教育、医療などの基本的なサービスを公費で幅広く提供すべきだという考えの井手さんは、財政への信頼性を高めることが急務だと訴える。
「家計簿を付けると、収支のつじつまを合わせることが安心できる暮らしの基盤だと実感できる。そうした人が増え、税金の集め方・使われ方に多くの目が注がれるようになれば、財政運営は堅実になっていくはず」。家庭が支える民主主義の成熟を期待しているという。
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家計簿を付けている世帯はどれくらいあるのか。
公的な調査はないが、東京証券取引所が運営するウェブサイトが昨年、20~40代の会社員に実施したアンケートでは、49%が付けていた。手書きよりスマートフォンのアプリに入力している人の方が多く、山崎さんも愛用の家計簿と同じ形式のアプリを4年前から併用している。
ただ、収入源や金融機関の口座が複数あると、一つの帳簿での管理はややこしくなる。共働き世帯は家計簿を付ける割合が専業主婦世帯よりずっと低いとの調査結果もある。
このため最近は、個人用と共有用に分けて管理をしたり、口座ごとに支出をひも付けたりできるアプリもある。忙しい人のため、レシートをカメラで読み取れば費目まで判断して分類してくれる自動入力機能も人気だ。【清水健二】
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