ごみの中から「お宝」が見つかった。うそのような本当の話が三重県鳥羽市であった。1人の直感から捨てられずに済んだ史料は、偶然もあって価値が判明していった。
7月13日のことだった。家庭から出るごみを受け付ける鳥羽市リサイクルパークに、古い書類やはがきなどが入った段ボールが持ち込まれた。名古屋市に住む大山寿文さん(55)が姉の渡辺恵さん(58)と鳥羽市で親族が住んでいた家を前日に整理した際に出た「ごみ」だった。
古い品々には、ひどい虫食いや湿気でくっついてしまっていた文書や「鳥羽城」と書かれた書類や和本などもあった。作業員の木下房美さん(72)は一目見て「品がある」と感じたという。古物を集めていた義父の影響もあり、価値があるのではないかと思い、知り合いを通じて鳥羽郷土史会の野村史隆会長(76)と連絡を取った。
状況を説明された野村会長は「すごい史料かも。中を確認したい」と答えると、リサイクルパークを訪れた。目の前のごみに「お宝」があると確信した野村会長はさらに調べるため、大山さんに「全部引き取らせてほしい」と連絡し、郷土史会に寄贈してもらった。
翌日からは史料の目録作りが始まり、総数は326点に及んだ。中でも、折りたたまれていた絵図を広げると、縦80センチ、横72センチの大きさに鳥羽城が描かれていた。奥書から1800(寛政12)年10月の記録と分かった。
さらに、新たな偶然から価値ある史料だと判明した。7月21日に県職員で城郭災害史を研究する盆野行輝さん(59)により、暴風雨で鳥羽城の石垣が破損したことを幕府に申請する「城郭修復願図」だと判明した。
江戸幕府は大名が許可を得ないまま築城や城の修理を行うことを禁止していた。修復する場合には被災に関する書類や絵図などを用意して申請が必要だったという。絵図が発見されたことを知らずに郷土史会を訪れていた盆野さんは「探していた絵図に引き寄せられた。見つかってうれしい」と予期せぬ巡り合わせに声を弾ませた。
戦国時代の武将・九鬼嘉隆が1594年に築いた鳥羽城。幕末までの約190年間で少なくとも1707年の宝永地震と1854年の安政地震という2回の南海トラフ級の地震による津波で大きな被害を受けるなど、10回の自然災害に遭った。
寛政の暴風雨による被害も知られていたが、具体的に伝える絵図は発見されていなかった。今は石垣などがわずかに残る鳥羽城の約220年前の被害状況を伝え、地域の「災害史」をたどる上でも貴重な資料だという。
絵図は14日にあった鳥羽郷土史会の例会で会員に公開された。例会に招かれた大山さんと渡辺さんは、自分たちでは広げることのなかった絵図と初対面し、盆野さんの説明を熱心に聞いた。
大山さんは当初捨てるつもりだったが、押し入れの中の木箱に入っていたことが気になり、何かに活用されるかもしれないと思い、リサイクルパークに持ち込んだ。「史料に引き寄せられたみなさんのおかげで、いろんなことが分かった。先祖に良い報告ができます」と喜んでいた。【下村恵美】
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