兵庫県尼崎市で平成17年4月、乗客106人と乗員が死亡し、562人が重軽傷を負ったJR福知山線脱線事故は25日、発生から19年となった。現場の「祈りの杜(もり)」では追悼慰霊式が営まれ、遺族らが大切な人々の冥福を祈った。JR西日本では、若い世代の社員へ教訓を適切に引き継ぐことも見据え、来年12月ごろに事故車両の保存施設を完成させる計画だが、一般公開を巡ってはなお賛否が分かれ、JR西は態度を留保している。
事故が起きた午前9時18分とほぼ同時刻、現場カーブを快速電車が速度を落として通過した。沿道では通過する電車をじっと見つめたり、頭を下げて静かに手を合わせたりする遺族や関係者の姿がみられた。
この日、祈りの杜での慰霊式には遺族や負傷した被害者ら309人が参列し、犠牲者に黙禱をささげた。JR西の長谷川一明社長は慰霊碑の前で責任に触れ、「1人1人が鉄道の安全を追求しなければならないという決意を胸に、たゆまぬ努力を続ける」と誓った。
JR西では全社員約2万5千人のうち、事故後に入社した社員が7割近くを占める。
来年12月ごろには、大阪府吹田市の同社研修センター敷地に事故車両の保存施設が完成する予定で、7両編成のうち損傷が激しい1~4両目は部品ごとに整理。原形をとどめる5~7両目は元の状態で保存し、社内での教訓の引き継ぎに活用する考え。
一方、施設公開の是非については被害者らの間でもさまざまな考えがある。2両目に乗っていた次男(37)が負傷した大阪府高槻市の西尾裕美さん(66)は「事故の悲惨さや再発防止を訴える施設でないといけない」と一般公開に前向きな考えを示す。
1両目で負傷した宝塚市の会社員、木村仁美さん(40)は遺族や被害者の苦しみが増幅しかねないことを理由に公開には賛同しない。ただ「100年後ならありえる。事故がヒストリー(歴史)になれば一般公開されるだろうが、まだそうじゃない」と語った。
大規模事故の遺留物を巡っては過去にも公開の是非で議論が分かれてきた。日航ジャンボ機墜落事故の遺留物は紆余曲折の末、公開までに20年以上を要している。
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