「ミッチーブーム」を巻き起こし、皇室に新たな風を吹き込んだ上皇后美智子さまが20日に90歳の誕生日を迎えられる。平成の時代は、象徴天皇のあり方を模索し続けた上皇さまを支え、国民と交流を重ねた。令和になった今も、災害や戦争など国内外のニュースに気を配っているという。
「テニスコートの恋」
1959(昭和34)年4月、皇太子だった上皇さまと結婚した美智子さまは、民間出身初の皇太子妃となった。出会いは長野・軽井沢のテニスコート。「テニスコートの恋」と世は盛り上がり、女性がファッションをまねるなど「ミッチーブーム」が起きた。
皇室では新たな試みだった子供たちを手元で育てるスタイルや、上皇さまの公務に同行しながら単独でも活躍する姿は、国民の共感を得た。一方で、平成初期は週刊誌報道を中心に「皇后バッシング」も起きた。声が出づらくなった美智子さまを支えたのは、上皇さまや結婚前でともに暮らしていた長女の黒田清子さんら、ご家族だった。
被災地へ足運び
平成は雲仙・普賢岳の噴火災害や阪神大震災、東日本大震災など大災害が相次いだ。その度に上皇さまと現地に足を運び、被災者の悲しみを受け止めた。国内外の戦争の激戦地を巡る「慰霊の旅」もともにした。国際親善では、国民との交流と同じように多くの人たちと親しく言葉を交わし、現地の子供を抱きしめる姿も度々あった。
また、美智子さまは文学や音楽に幼いころから深く親しみ、文化人や音楽家たちとの交友関係が広い。詩の英訳本の出版やご自身の歌集の出版にとどまらず、児童書の普及にも影響を与えた。国際児童図書評議会(IBBY)の世界大会に関わり、そこでの講演は世界各国で大きな反響を呼んだ。
上皇さまと支え合い
美智子さまと歩んだ日々を、上皇さまは平成最後の記者会見でこう振り返っている。
「天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労(ねぎら)いたく思います」
令和への代替わりで上皇后になった美智子さまは、公的な活動から退き、皇居から赤坂御用地にある仙洞御所に住まいを移した。そこはかつての東宮御所で、皇太子妃時代を子供たちと過ごした思い出の場所でもある。今月6日に右大腿(だいたい)骨上部を骨折したもののリハビリに励み、上皇さまと2人で支え合って暮らしている。【山田奈緒】
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