日本原水爆被害者団体協議会(被団協)が11日にノーベル平和賞を受賞したことで、三重県内関係者も思いを新たにしている。被団協の県内団体「三重県原爆被災者の会」(三友会)の山口詔利(のりとし)会長(80)は「受賞を励みに、より一層活動を活発にしていきたい」と語った。
山口会長は生後10カ月の時、長崎市内で被爆した。母と祖母、2歳上の兄の4人で暮らしていた自宅は爆心地から約1・5キロのところにあり、祖母は外出先から戻った際に屋外で被爆し、祖母を出迎えるために玄関へ向かった兄は背中に大やけどを負った。家の中にいた母と山口さんは爆風で割れたガラスが体中に刺さり出血した。全身に大やけどを負った祖母は2日後に亡くなった。
幼いころの壮絶な体験を乗り越えてきた山口さんは就職をきっかけに1968年、三重県鳥羽市に移り住むと、30代のころに三友会の存在を知り、入会した。仕事をしていたこともあり、自らの被爆体験を語る活動を始めたのは70歳ごろから。今も眉毛に傷痕が残っている山口さんは学校などでの講演会で「核の恐ろしさや戦争はダメだ」と訴えてきた。
三友会で地道に活動してきたことが被団協へつながり、ノーベル平和賞として世界的な評価を受け、山口さんは「うれしい」と率直に喜ぶ。ただ、現実に目を向ければ、ウクライナや中東など世界各地で紛争は絶えず、核兵器使用の危険性も高まっている。自らの経験を基にして警鐘を鳴らしてきた被爆者も高齢化している。
県内の被爆者約220人のうち、三友会員は約60人。語り部として活動しているのは山口さんを含めたった4人だけになってしまった。多くの被爆者が訴えてきた思いや手がけてきた活動を「若い人にどう引き継いでいけばいいのか」と新たな課題も抱えながら、ノーベル平和賞を「これからも頑張れという激励」と受け止めている。【下村恵美】
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