原爆慰霊碑に刻まれたことばと原爆ドーム(奥)=広島市中区で2024年10月11日午後9時37分、北村隆夫撮影

 被爆者たちは、2006年秋から続く毎日新聞の長期連載「ヒバクシャ」に登場し、被爆の実相を伝え続けてきた。

 「長年、ずっと核廃絶に取り組んでいた活動が認められたのは本当に良かった。核廃絶を望むみんなの願いが届いたのではないかと思う」。各地で平和を訴える講演活動をしている近藤紘子(こうこ)さん(79)=兵庫県三木市=は声を弾ませた。

 近藤さんは生後8カ月の時に爆心地から1・1キロにある広島市幟町(現中区上幟町)で被爆した。核廃絶に不断に取り組む被団協について「核兵器をなくしてほしいという祈りを一つにする道しるべだ」と敬意を表し、「残念ながら今は亡くなった被爆者の方もいるが、その祈りや願いは生きている」と思いをはせた。

 近藤さんの父・谷本清さん(1986年に77歳で死去)は原爆投下当時、広島流川教会の牧師で、顔などをやけどした「原爆乙女」や原爆孤児などの支援に奔走した。原爆投下翌年の広島を取材し、谷本さんらの活動を伝えた米記者のルポは各国語に翻訳されている。近藤さんも40歳を過ぎてから自らの体験を語るようになった。「これを機に、世界の人に核兵器は駄目なのだということを改めて伝えたい」と語った。

 広島市で被爆した森下弘さん(93)=広島市佐伯区=は「核兵器廃絶に向けた努力が認められ、被爆者の訴えを世界が真摯(しんし)に受け止めてくれた」と歓迎した。高校教諭として広島で長年教壇に立ち、平和教育に深く携わってきた。今も核廃絶に向けて行動し続けており、4月下旬にはノルウェーの首都オスロを訪れ、核兵器の非人道性をテーマにしたイベントなどで被爆体験を証言した。ロシアのウクライナ侵攻後、フィンランドやスウェーデンが北大西洋条約機構(NATO)に加盟したこともあり、緊張感の中で自身の体験を語った。

 「日本だけじゃなくてね、世界が認めてくれたという重みもある。世界が被爆者の声を聞き始めるきっかけになればいい。日本政府が核兵器禁止条約の批准に向けて動いてくれるといいんだけどね」と願った。

 英語で自らの被爆体験の証言に取り組んできた小倉桂子さん(87)=広島市中区=は「広島と長崎の声が世界に届いた。(受賞は)今年か、今年かと毎年待っていた。長い間の努力が実った」とコメント。小倉さんは2023年5月の主要7カ国首脳会議(G7広島サミット)で各国首脳に自らの被爆体験を説明した。取材に「核兵器を使うとどうなるかについて、世界中に考えてもらう機会になる。戦後80年に向けて、本当にインパクトの大きい第一歩になった」と話した。

 在日韓国人2世の被爆者、朴南珠(パクナムジュ)さん(92)=広島市西区=は「今も地球のどこかで絶えず争いが起こっている。核兵器は絶対に二度と使われてはいけない。これをきっかけに核廃絶の訴えにさらに世界の注目が集まれば」と語った。【高木香奈、矢追健介、武市智菜実、根本佳奈】

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