2年前の4月23日、知床半島沖で沈没した観光船「カズワン」。

 午後から天候が荒れる予報のなか、乗客乗員26人を乗せ、午前10時にウトロ港を出航。

 知床岬を折り返し、午後1時ごろに「カシュニの滝」近くを航行。

 午後2時ごろに「30度傾いている」と運航会社へ連絡がありその後、消息を絶ちました。

 20人が死亡、6人が行方不明のままです。

 4月22日から行われている海上保安庁などの捜索では、新たな手がかりは見つかっていません。

 あの日、カズワンに乗船していた福岡県の小柳宝大さんの父親です。

 「楽しい気持ちいっぱいで初めての北海道旅行に来て、まさか本人も帰らぬ人になるとは思いもしなかったと思う。それは私たち家族もそうですね」(小柳宝大さん)

 小柳さんは事故当時、カンボジアで働いていて、一時帰国中に知床を訪れていました。今も行方は分かっていません。

 「ひとかけらでも見つかってくれたら今まで大変だったね、おかえりって言ってうちの墓にも納骨したい」(小柳宝大さん)

 家族は4月23日、北海道斜里町の町長らと面会し、事故を風化させないために慰霊碑の設置を求めました。

 愛する人が見つからない苦しさ。北海道十勝地方に住む50代の男性です。当時7歳の息子とその母親の行方は、いまも分かっていません。

 「(知床の景色はどう見えている?)見えてはいるけど見ないようにしている」

 「抱きしめてあげたい」(ともに乗客の家族)

 男性は5月末、運航会社と桂田社長を提訴する方針です。

 原告となるためには「遺族」になる必要があるとして、死亡の認定を自治体に申請しましたが、今も2人が戻ってくるのではとの思いは消えません。

 「自分の中でも生存の可能性が厳しいとわかっている。でも認めることができない」

 「このままでいいのかもしれないけど、訴訟にも参加したいし、このタイミングで手続きをしたほうがいいのかなと思った部分はある」(ともに乗客の家族)

 裁判が起こされた場合、責任を問われることになる運航会社と桂田精一社長。会見を開いたのは、事故後1度だけです。

 「この度は、お騒がせして大変申し訳ございませんでした」

 「豊田船長と午後の天気があれる可能性があるが、クルーズは出航可能と報告があった」(知床遊覧船 桂田精一社長)

 4月23日の追悼式会場には桂田社長の名前で花が供えられていましたが、姿を見せることはありませんでした。話を聞くため、電話をかけてみたところ。

 「いまは訴訟(検討)、告発されている身なので弁護士から止められている。慰霊は毎日している」

 2022年12月には国の運輸安全委員会が事故に至る経緯を明らかにしました。

 甲板のハッチが留め具の不具合で開き、高波で海水が流入するなどして沈没したとしました。

 海上保安庁は桂田社長について、業務上過失致死などの容疑で捜査を続けています。

 消えない家族の痛み、大きすぎる犠牲を悼む町民、そして、語らぬ社長。様々な思いが交錯する中、事故から2年の日を迎えました。

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