元日の能登半島地震から、今年7月で半年が経った。被災した新潟市のコメ農家の家では、ようやく倒壊寸前だった小屋の解体が終わった。
一歩一歩、被災者は前に進んでいる。
■「やっと…」被災から約半年、自宅にやってきた重機
今年6月、新潟市西区で改修工事の進められる家があった。コメ農家の椎谷郁夫さんの家だ。
【コメ農家 椎谷郁夫さん】
「やっと、やっと…だねえ」
少し笑顔をみせながらそう話すと、椎谷さんは母屋の横に置かれたいすに腰を降ろした。目の前には、壁が傾き、崩れかけた農作業小屋が建っている。
すると、大きな音を立てながらやってきたのは1台の重機。重機のアームは、ゆっくりと農作業小屋に向かって降ろされていく。
【コメ農家 椎谷郁夫さん】
「こういう“大地震”にやられるとは、夢にも思わなかった。この解体作業を見守るしかない」
■田植えまで数カ月…日常が一変した能登半島地震
日常が一変したのは今年の元日のことだった。県内で最大震度6強を観測した能登半島地震により、椎谷さんの住む中野小屋地区では家屋の倒壊などが発生した。
【椎谷さんの次男・智之さん】
「廊下から、全部のヒビが被害」
妻や息子家族と7人で暮らす椎谷さん。自宅にいたところ大きな揺れに襲われ、一家は近くの小学校へ一時的に避難した。幸い、家族にけが人はいなかった。
しかし、揺れが落ち着き自宅へ戻ると、築50年以上の母屋には倒壊した隣の空き家が衝突。壁はひびだらけとなり、物が床に散乱するなど、悲惨な状態だった。
そして同じ敷地内にある、居住スペースも兼ねた農作業小屋は傾き、今にも倒壊しそうな状況となっていた。
こうして母屋は大規模半壊、農作業小屋は全壊となり、地震の発生翌日には家族総出で後片付けに追われた。
コメ農家の椎谷さん一家。家の被害もさることながら、気がかりにしていたのが田植えの準備だ。
【椎谷さんの長男・雅之さん】
「むずかしいなあ…ねえ。やることいっぱいだし」
今にも倒れそうな農作業小屋の中の機材は、稲の苗を育てるための農業用ハウスの中へ避難させた。さらに、自宅と別にある農作業場も壁が壊れるなどの被害を受けていた。
稲の種まきまで、あと3カ月…
【コメ農家 椎谷郁夫さん】
「春の田植えの準備とかをする材料がみんな小屋にあった。それを(倒壊する前に)早く全部出そうと言って出した。1つ1つやるしかない」
■被災家屋に住み続け…諦めなかったコメ作り
田植えに間に合わせるために椎谷さんたちが選んだのは、自宅ではなく農作業場の修理を優先することだった。壁や基礎を直して、作業スペースを確保。
避難した機材であふれていた農業用ハウスの中も整理し、4月には例年通り稲の種まきにこぎ着けた。
【椎谷さんの家族】
「ほら手伝って!」
「いくぞ、運べ~!」
威勢のいい声を響かせながら家族みんなで作業をこなしていく。一方、複雑な思いも抱えていた。
【長男・雅之さん】
「まだ小屋を壊してないからね。まあ、前に進むだけだよ…」
田植えの準備をしていたこの間、市に依頼した農作業小屋の解体などは始まらず、椎谷さんたちは被害の残る家に住み続けていた。
それでも前を向くと、5月に入り苗はぐんぐん成長。苗を田んぼへと移動させ、青空の下、トラクターを走らせた。
【コメ農家 椎谷郁夫さん】
「地震の年だからね、嬉しいというか、なんとかやらなきゃという気持ちでいっぱい。ちょっと田植えが終わってほっとするのが、一段階かな」
無事、田植えは完了。今年もコメ作りを続けることができた。
■ついに解体へ「地震が無いほうがよかった」
怒濤の日々を終えた椎谷さん一家。田植えから約1カ月が経った6月、新たな局面を迎えた。ようやく自宅の農作業小屋が解体されることとなったのだ。
【コメ農家 椎谷郁夫さん】
「寂しいというよりも、早く危ないから壊さなきゃいけないというのが先だな。怖かった、隣の母屋の方へ倒れるかと思ってさ」
同じく農家だった、椎谷さんの父親が建てたという小屋。バキバキと音を立てながら重機のアームが屋根へと刺さっていく。
解体が始まった。
【コメ農家 椎谷郁夫さん】
「思い出といえば、やっぱり農家でどれだけ苦しんできたかということ。地震、あくまで天災でもってやられるんだから、仕方ない。うん」
近くに置いたいすに腰を下ろし、じっと作業を見つめる郁夫さん。その目には涙が浮かんでいた。
【コメ農家 椎谷郁夫さん】
「地震がないほうがよかった」
地震発生から約半年。農作業小屋のあった場所はさら地となった。
■長期化する改修作業 一歩ずつ前へ
【コメ農家 椎谷郁夫さん】
「風呂場のタイルと、壁はまだそのまんま」
7月、地震の発生から半年が過ぎても、母屋の中の修理はまだ途中だった。77歳の椎谷さん。農作業小屋を建て直すかは、今後家族と相談して決める考えだ。
【コメ農家 椎谷郁夫さん】
「1回で全部直そうと、そういう気は全く無い。もう本当に少しずつ直すしかない。家族が笑いが出るというか、笑顔に少しずつなっていければそれで良い」
一歩ずつ、一歩ずつ。日常を取り戻すため、被災者は歩みを進めている。
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