10年の節目を迎え記憶の継承が改めて見直されるなか、被災地では夜が明ける前から犠牲者に祈りを捧げる姿が見られました。

広島土砂災害からきょうで10年…
広島市安佐南区緑井では被災後、新たに建設された砂防ダムに追悼のメッセージが映し出されました。

また、25人が犠牲となった安佐南区八木の県営住宅の付近では、土石流が街を襲った午前2時半を前に、地元の有志が「8.20」の形に並べられたキャンドルに鎮魂の火を灯しました。

そして…慰霊碑の前には静かに手を合わせる遺族の姿がありました。
若松順二さんと妻の直美さん。
あの日、結婚したばかりの娘夫婦と娘のお腹にいた孫の3人を亡くしました。

【娘夫婦を亡くした若松順二さん】
「僕らからしたら10年というのはあまり関係がない。会いたい寂しい悔しいということは(10年経っても)変わらない」

夜が明け、安佐南区の梅林小学校では献花会が開かれ、松井市長が訪れて追悼の言葉を述べたほか、地元の住民などが犠牲者を悼み花を手向けました。

【同僚を亡くした女性】
「10年経ったとは思わないね。ここらをずっと歩くと思い出とかいまテレビの土砂災害を見ているとやっぱり気持ちが…テレビをまだよう見ないくらい」

この献花会に特別な思いを持って向かう男性がいます。
立川新三さん、87歳。
「(土砂が)流れた時間になったら兄貴が夢に出てきてね、うなされて「うわー」と大きな声を出して目が覚めるんですよね。自分もボロボロ泣いているのよね」

近くに住んでいた兄夫婦を亡くしました。
この10年忘れることがなかった名前にそっと手を添えます。

【立川新三さん】
「ここに書いてあるんですよね。なんでお前はこんなところにおる」

立川さんは、被災した翌日から写真を撮りためてきました。
被災の状況やまちが復興していく様子などが残されています。

【立川新三さん】
「いつの間にかポケットからカメラ出してね両サイドの家が半壊になってるでしょそれを一軒ずつ見て(撮って)歩いたんですよ」

アルバムの最後の1ページは、復興を遂げた街並みを収めたいと話します。

【立川新三さん】
Q:アルバムを完成させたいですか?
「させたいね」

あの日の記憶を忘れないためにも、被災地では、いまも鎮魂の祈りが続いています。

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