恩楽寺入り口に設置された模擬原爆慰霊碑の前で体験を語る松本道明さん=大阪市東住吉区で2024年7月26日午前11時4分、高木香奈撮影

 太平洋戦争末期の1945年7月、原爆投下訓練として「模擬原爆」が落とされた大阪市東住吉区田辺地区の恩楽寺で26日、追悼式があった。地元住民、市内小中学校の児童・生徒ら計約110人が参加した。

 模擬原爆は広島と長崎への原爆投下の実戦訓練だったとされ、45年7月から8月にかけ全国各地に49発が落とされ400人以上が犠牲になった。大阪は当時の田辺本町にあった料亭「金剛荘」が直撃を受け、7人が亡くなったとみられる。

 追悼式は住民でつくる実行委員会が開き、投下された午前9時26分に合わせて黙とうした。同区の松本道明さん(83)は「家の前で遊んでいると、ドカンとものすごい音がして乗っていた三輪車とともに飛ばされた。200メートル先の空が真っ赤で、怖さで震えた」と当時の体験を語った。教師として金剛荘近くの工場に子どもたちを引率していた龍野繁子さん(99)は「いまだに当時の状況が目に浮かび、普段は思い出さないようにしている。小中学生はしっかりと今を楽しんでください」と語った。

 また、市内の小中学生が発表し「近くに模擬原爆が落ちたと知り胸がしんどくなった」「戦争のニュースを見ることのない未来をつくりたい」などと話した。【高木香奈】

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