屋山太郎氏=2020年12月、東京・大手町の産経新聞東京本社(酒巻俊介撮影)

政治家と官僚の癒着や金権政治、堕落した労働組合の専横など道理に合わぬことを嫌い、闘い抜いた硬骨漢だった。著名な政治評論家となっても政府の審議会委員を務めても、自ら書くことを優先し、あくまで政治記者として日本の将来を憂え続けていた。

昭和40年代初頭、田中角栄元首相が自民党幹事長だった頃に、時事通信の政治部記者として目撃した光景を、周囲にたびたび語った。

「幹事長室に入ると、田中氏が大きな日本地図を広げて『こことここに道路を敷こう』と話していた。田中氏は、その前に予定地を買い占めようというんだ」

後に選挙に多額な資金を必要とする中選挙区制度は、小選挙区制度に改めるべきだと主張するきっかけの一つだった。

月刊文芸春秋誌上で、「日教組解体論」「国鉄労使『国賊』論」などを発表し、左派勢力と結託した労組の闇を告発した。平成19年には第1次安倍晋三内閣で年金記録問題検証委員に就き、社会保険庁労組による積年の怠業を追及した。

21年には、筆者に安倍氏についてこんな評価を語っている。

「安倍さんが公務員制度改革を始めたときは、『本気か』と驚いた。教育基本法だって国民投票法だって、そんな一銭にもならないことを本気でやってくる政治家がいるとは思わなかった。50年政治を見てきて、政治とはモノとカネを動かすものだと思っていた」

安倍氏が一昨年7月に暗殺された後には、こう話すこともあった。

「政治や外交で何かあると、これを『安倍さんだったらどう判断したかな』と考える癖がついてしまった」

与野党を問わず広い人脈を持ち、時にはこれと見込んだ若手政治家を支援することもあった。

民主党政権発足時は、官僚と族議員が利害を一致させ、官僚主導の国家運営を行ってきた「官僚内閣制」を崩し、普通の民主主義を取り戻すことを期待し、こう語った。

「国民は政治家は選べるが、官僚は選べない」

今年1月に亡くなった外交評論家の田久保忠衛氏とは時事通信の農林省記者クラブで席を並べた同僚であり、親しい友人同士だった。こんな冗談も口にした。

「タクちゃんもオレも、産経新聞にばかり出ているから、近頃は時事通信ではなくて産経出身と勘違いされることが多いんだ」

「喧嘩(けんか)太郎」とあだ名された若手記者時代の逸話は、無礼な政治家を階段から突き落としたエピソードなど枚挙にいとまがない。こんな助言をもらったことがある。

「(書く対象に対し)コノヤローと思いながら書くとたいていいい記事になるんだ」

おしゃれでグルメで、生き方に一本筋の通ったかっこいい先輩記者だった。(論説委員兼政治部編集委員 阿比留瑠比)

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