沖縄戦で南へと逃れた住民の多くが犠牲になった沖縄最南端の荒崎海岸。日の出前の薄く赤みがかった空の下、白ユリが揺れていた=沖縄県糸満市で2024年6月23日午前5時31分、喜屋武真之介撮影
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 沖縄は23日、第二次世界大戦末期の沖縄戦の犠牲者らを悼む「慰霊の日」を迎えた。日米両軍の激しい戦闘で、住民を含む約20万人が命を落とした地上戦から79年。沖縄本島南部の慰霊碑では、犠牲者を悼み、手を合わす人々の姿が早朝から見られた。

 最後の激戦地だった沖縄県糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では午前11時50分から、県と県議会主催の「沖縄全戦没者追悼式」が営まれ、玉城デニー知事が「平和宣言」を読み上げる。岸田文雄首相も参列して、あいさつする。

 第二次世界大戦末期、米軍は日本本土を攻略する拠点とするため、1945年3月26日に沖縄本島の西方沖にある慶良間(けらま)諸島に、4月1日に本島中部の西海岸にそれぞれ上陸した。日本軍は本土決戦の時間稼ぎのため持久戦を展開。司令官の自決で日本軍の組織的戦闘が終結したとされる6月23日まで約3カ月に及ぶ地上戦となった。日米合わせて死者約20万人。そのうち住民の死者は9万4000人(推計)に上り、沖縄出身の軍人・軍属2万8228人と合わせて、沖縄県民の4人に1人が亡くなったとされる。【日向米華、比嘉洋】

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