[心のお陽さま 安田菜津紀](30)

 昨年の10月以来、イスラエル軍によるガザでの虐殺は凄(せい)惨(さん)を極めている。国際刑事裁判所(ICC)のカーン主任検察官は5月20日、戦争犯罪などの疑いでイスラエルのネタニヤフ首相やガラント国防相らの逮捕状を請求すると発表した。

 彼らが、ガザという狭く、逃げ場のない地で人々を散々追い詰め、いたぶり、傷だらけにしたあげく、ラファという南部の限られた場所に追いやり、命を奪ってきた人間たちであることは明白だ。それが罪にならなくて何が罪になるというのか。

 その翌日、上川陽子外務大臣は、逮捕状請求について「今後の動向を重大な関心を持って、引き続き注視してまいりたい」と述べるにとどまり、フランスのようなICC支持の言及はなかった。

 この空虚さは何だろうか。医師である蟻塚亮二さんの著書「沖縄戦と心の傷 トラウマ診療の現場から」の中の言葉を思い出す。被害と加害が生じている場での「支援者」のあり方について、こう綴(つづ)っていた。

 「支援者が中立であることはとても有害だ」「むしろいない方がいい」「対立構図の中で、『中立を貫く支援者』は、逆にとても政治的な立場と行動を示すことになる」

 圧倒的な力の不均衡の下、現在進行形で起きている虐殺への「中立」的な立場もまた、「有害」ではないのか。

 その後、国際司法裁判所(ICJ)がラファへの攻撃の即時停止を命じたが、なおもイスラエル軍は、人々が身を寄せ合っていた難民キャンプを攻撃し、平然と人々を焼き殺していった。「どんなに殺しても、支援をしてくれる国、見過ごしてくれる国はある」と、権力者たちに思わせているのも、この「中立」ではないのだろうか。

 「なんで、なんで、なんでこれを誰も止められないの」とラファにいる友人からも悲鳴が届く。本来、一日たりともあってはならないはずの事態が、300日近く続いている。ロシアによるウクライナ侵攻後に、岸田文雄首相らが強調していた「法の支配」を、今こそ加害者に問い、歯止めをかけるべきだろう。(認定NPO法人Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)

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