津山市で主婦が連れ去られ、現金約700万円が引き出された事件は、未解決のまま2024年6月、22年を迎えました。警察は今も主婦の行方を探していますが、情報は限りなく少なくなっています。

(高橋幸夫さん)
「うちの女房苦しんだことは事実だと思うんよ、怖かったと思う。僕の手でちゃんと妙子の人生を見届けて最後にしめてやって、僕もしめる」

高橋幸夫さん。事件は未解決のまま、2024年で22年を迎えました。妻の妙子さんの行方は今も分からないままです。

(津山警察署副署長(当時))
「所在不明者。津山市弥生町、高橋妙子さん、54歳。主婦です」

2002年6月3日午後5時過ぎ、幸夫さんが仕事を終え、帰宅すると妙子さんの姿はありませんでした。間もなく、電話のベルがなりました。

(電話のやり取り)
「もしもし妙子ですけど身の危険はないから心配しないでください」
「どうしたん?」
「車でぐるぐる連れまわされて、今ちょっとどこまで言っているかよく分からないけど、たぶん岡山ぐらいだと思います」
「連れまわされとん?誰に」
「警察に言わないでください」

これが2人の最後の会話になりました。その後、津山市や岡山市のキャッシュコーナーで幸夫さんの銀行口座から現金約700万円が引き出されていたことが判明。警察は、何者かが妙子さんを連れ去り、現金を引き出したとみて捜査を始めました。

妙子さんが行方不明になって約1週間後。捜査本部は、銀行の防犯カメラに映った、現金を引き出す女を重要参考人として公開。女は、事件後、津山市のアパートから姿を消していました。

突然消えた主婦と謎の女、そして多額の現金。不可解な事件に取材は過熱し、その矛先は幸夫さんに向けられました。

(高橋幸夫さんの自宅インターホン)
「捜査に協力していただくように犯人一人でもあげていただけるような方向の報道を宜しくお願いします」

その頃、捜査本部は、防犯カメラに映った人物を鳥取県の33歳の女と断定。女と知り合いで妙子さんを自宅まで乗せたことがある元タクシー運転手の男の関与も明らかになりました。

男の車からは妙子さんの血の痕が見つかり、この車が事件後、新見市を往復していたことなどが分かっています。2人に捜査の手が迫り、逮捕が見えてきた矢先のことでした。

(奥原怜奈 記者)
「行方不明から約1カ月。男が公園の木で首を吊った状態で見つかったのです」

男は津山市の公園の片隅で自殺。この2日前に、男は身の潔白証明のため警察署を訪れていました。その後、女も岡山市の山中で自殺しているのが見つかり、事件解決の手掛かりは途絶えました。

(高橋幸夫さん)
「せめて遺骨だけでも戻ってくることを僕は望んでいる、ここまでやったんだよと僕言ってやりたいね」

事件から数年が過ぎても、自宅には事件当日の朝、妙子さんが畳んだ洗濯物や手作りのカレーまで残されていました。

(高橋幸夫さん)
「身動き取れない全てが妙子の思い出につながる。どうすることもできない」

事件から7年後、幸夫さんは、裁判所に妙子さんの失踪宣告を申し立て、法律上、亡くなったことにしました。

(高橋幸夫さん)
「生きている妙子という僕の生き方から限界を感じてきた」
「残ったものがいかに苦しいか、いかに生きていくのが大きな出来事だろうと。事件はそのあとの方が大変だなと思うね」

しかし、妙子さんの発見なくして事件解決はありません。岡山県警は22年間に延べ約5万8700人の捜査員を投入し、県内外の山林やダムなど延べ100カ所を捜索しましたが、手掛かりは得られませんでした。

また、これまでに471件の情報が寄せられていますが、2023年1年間はわずか1件にとどまっています。事件の風化が懸念される中、岡山県警の荻野刑事部長は。

(岡山県警 刑事部 荻野英俊部長)
「かなり真相解明が厳しい状況になっている。ただ高橋妙子さんの発見には、全力を傾注して、発見、ご家族のもとへを第一だと考えている。高橋妙子さん、当時54歳。22年足すと今76歳。知っている、見たなどの情報があれば伝えてほしい」

幸夫さんはOHKの取材に対して、「妻の遺骨がないまま今年(2024年)、23回忌を迎えた。妻を見つけてこの手で弔ってやるためにも事件があったことを忘れてほしくない」と話しています。

鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。