福岡県飯塚市で1992年に小学1年の女児2人が殺害された「飯塚事件」で略取誘拐や殺人罪に問われて死刑が確定し、2008年に執行された久間三千年(くまみちとし)元死刑囚(執行時70歳)の第2次再審請求審で、福岡地裁(鈴嶋晋一裁判長)は5日、裁判のやり直し(再審)を認めない決定を出した。
死刑執行後に再審開始決定が出た例はなく、地裁の判断が注目されていた。弁護側は決定を不服として10日までに即時抗告する方針。
殺人罪に問われた久間元死刑囚は94年の逮捕時から一貫して無罪を主張。06年9月に最高裁で上告が棄却されて死刑が確定し、再審請求の準備中だった08年10月に刑が執行された。09年10月に妻が1回目の再審請求をしたが、地裁が再審を認めず、福岡高裁と最高裁も支持した。妻が21年7月に2回目の再審請求をしていた。
第2次再審請求審の焦点は、確定判決で被害女児2人の「最後の目撃者」とされた当時20代の女性の新証言の信用性だった。弁護側は、女性が「見たのは当日ではない。当時も捜査当局に『その日に見たのか、はっきりしない』と説明したが聞き入れてもらえなかった」などと述べた供述録取書を新証拠として提出。女性の当時の目撃証言を基に連れ去り現場と時間を認定した確定判決は「誤りだ」と主張し、再審開始を求めた。
一方、検察側は「被害女児の目撃供述の重みを抱えきれなくなり、『記憶違いだった』と思い込むようになった。信用性はない」などと反論し、請求棄却を求めていた。
確定判決は、元死刑囚と事件への関与を示す直接的な証拠はないとしつつ、複数の状況証拠を総合的に検討。当時20代の女性の最後の目撃証言を基に、2人は「事件当日の午前8時半~50分ごろ」に「飯塚市の三差路付近」で連れ去られたと認定。その上で①元死刑囚の車と特徴が似た紺色のワゴン車が「三差路付近」と、衣類など遺品の遺棄現場の両方で目撃されていた②元死刑囚の車に血や尿の痕があり、血痕は被害女児1人と血液型が一致した――ことなどを認定し、元死刑囚を有罪と判断した。【志村一也】
飯塚事件
1992年2月、福岡県飯塚市で小学1年の女児2人が行方不明になり、同県甘木市(現・朝倉市)の山中で遺体で見つかった。県警は94年9月、小学校の通学区域内に住む久間三千年(くまみちとし)元死刑囚を逮捕。一貫して無実を訴えたが、殺人罪などで死刑判決が2006年に確定し、08年に執行された。確定判決によると、元死刑囚は92年2月20日午前8時半~50分ごろ、飯塚市の三差路付近の路上で、登校中の女児2人を車に乗せて連れ去り、同9時ごろまでに首を絞めて殺害。同11時ごろ、甘木市の山中に2人の遺体を遺棄した。
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。