福岡地裁=福岡市中央区で

 福岡県飯塚市で1992年に小学1年の女児2人が殺害された「飯塚事件」で略取誘拐や殺人罪に問われて死刑が確定し、2008年に執行された久間三千年(くまみちとし)元死刑囚(執行時70歳)の第2次再審請求審で、福岡地裁(鈴嶋晋一裁判長)は5日に裁判のやり直し(再審)を認めるかどうかの決定を出す。焦点は、最後に2人を目撃したとされる女性の「新証言」の信用性だ。死刑執行後に再審開始決定が出た例はなく、地裁の判断が注目される。

 事件は92年2月、福岡県飯塚市で発生。小学1年の女児2人(いずれも当時7歳)が行方不明になり、同県甘木市(現・朝倉市)の山中で遺体で見つかった。元死刑囚は94年に逮捕されてから一貫して無実を訴えたが、福岡地裁は99年9月に死刑を言い渡し、06年に最高裁で確定。その約2年1カ月後に死刑が執行された。

 確定判決によると、元死刑囚は92年2月20日午前8時半~50分ごろ、飯塚市の三差路付近の路上で、登校中の女児2人を車に乗せて連れ去り、同9時ごろまでに首を絞めて殺害。同11時ごろ、甘木市の山中に2人の遺体を遺棄した。

 事件と元死刑囚を結ぶ直接的な証拠はなく、確定判決は複数の状況証拠を総合的に検討。2人の連れ去り現場は、当時20代だった女性の目撃証言を基に「三差路付近」とした。その上で①元死刑囚の車と特徴が似た紺色のワゴン車が「三差路付近」と、衣類など遺品の遺棄現場の両方で目撃されていた②元死刑囚の車に血や尿の痕があり、血痕は被害女児1人と血液型が一致した――ことなどを認定し、元死刑囚を有罪とした。

 一方、元死刑囚の妻が21年7月に起こした今回の第2次再審請求で、弁護側は①の認定を覆す可能性がある2人の「新証言」を新証拠として提出した。

「飯塚事件」第2次再審請求の主な争点

 1人目は、確定判決で2人を最後に目撃したとされる女性だ。「2人を見たのは事件当日ではなく、別の日だった。当時も警察に『その日に見たのか、はっきりしない』と説明したが、聞き入れてもらえなかった」と旧証言を覆した。弁護側は「捜査当局が虚偽の内容の調書を作った」と主張。「女性の新証言によって連れ去り場所や日時は特定できなくなり、紺色ワゴン車と事件も結びつかなくなった。確定判決の証拠構造は破綻した」などと訴えた。

 新証言の2人目は70代の男性で「事件当日、元死刑囚とは別の人が運転する白の軽乗用車に女児2人が乗っているのを見た」などと説明した。

 これに対し、検察側は女性の新証言については「被害女児の目撃供述の重みを抱えきれなくなり、『記憶違いだった』と思い込むようになった。信用性はない」と反論。70代男性の目撃証言は「女児2人の死亡推定時刻と合わず、事件との関連性が認められない」とし、請求棄却を求めた。

 飯塚事件を巡っては、確定判決で被害女児の遺体に付着した血痕と元死刑囚のDNA型が一致したとする鑑定結果について、第1次再審請求に対する14年3月の福岡地裁決定が精度の観点から「鑑定をただちに有罪の根拠とはできない」と指摘。有罪の根拠の一つとした証拠能力が事実上、否定された経緯がある。ただ、この時は他の目撃証言など複数の証拠によって有罪は揺るがないとして請求は棄却され、福岡高裁と最高裁も支持した。

 目撃証言の信用性が否定されれば、元死刑囚を有罪とした証拠構造がさらに崩れる可能性があり、判断が注目される。【志村一也】

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