元日に発生した能登半島地震から6月1日で5カ月となる。被災地支援のボランティア活動は大型連休後も低調なままだ。筆者(山越)は5月の平日に2泊3日で石川県を訪れ、ボランティアとして活動した。参加は難しくなく、現地の災害ボランティアセンター(VC)は「まだまだ来てほしい」と呼びかけている。
全国社会福祉協議会(全社協)の全国ボランティア・市民活動振興センターによると、VCを通した石川県での活動人数は、大型連休を含む4月27日~5月6日の10日間で延べ1万843人だった。募集上限があり、最も多かった日曜日の5月5日でも1373人。連休明けは急速にしぼみ、筆者が参加した火曜日の7日は357人にとどまった。5月の月間活動人数は延べ2万人台となりそうな状況だ。
全社協によると、2011年3月11日に発生した東日本大震災では、同年5月に岩手、宮城、福島の3県で延べ約18万人がボランティアに参加しており雲泥の差だ。地震直後から「能登への不要不急の移動を控えて」と石川県が発信し、現在も登録制での活動を呼びかけている影響は否めない。
メールから参加申し込み
専門ボランティア以外が一般参加するには、県災害対策ボランティア本部のホームページで登録し、活動1週間前ごろに届くメールから申し込む。年500円のボランティア活動保険の加入は必須で、インターネットでも加入できる。
筆者は東京から新幹線で金沢に移動し、前泊。翌日の午前6時半、金沢駅前から県の用意したバスで2時間半かけて石川県輪島市へ向かった。40人の募集に対し参加者は36人で、男女、県内外の割合は半々ほど。ジーンズにスニーカーなど気軽な服装の参加者も多い。この日、同じ40人の募集に対し参加者が10人に満たない地域もあったという。
輪島市社協の荒木正稔介護福祉課長は「倒壊し道路にかかった家屋を撤去できたくらいで、まだ全然片付いていない。手つかずの家がいっぱいあり、ボランティアの活動はまだ終われない」と話す。実際、市内では朝市の焼け跡や横倒しになったビルがそのまま残っていた。ヘルメットを借り、午前と午後に1軒ずつ、被災者宅での災害ゴミや家具の搬出に当たった。活動時間は休憩を挟みつつ4時間ほど。終了後、金沢に戻るバスが出る。
筆者はこの日、七尾駅(石川県七尾市)から徒歩30分ほどの野球場にある無料テント村に宿泊した。水洗トイレや男女で時間帯を分けて使用するシャワーもあった。このテント村はその後閉鎖されたが、同様の施設が輪島市、石川県珠洲市、穴水町などにある。
翌日は午前9時前に七尾市のVCへ集合。午前は被災者宅で災害ゴミの搬出、午後は崩れた土壁の撤去に取り組んだ。七尾市社協の直龍芳総務管理課長は「まだまだやることがあり、たくさんのボランティアに来てほしい」と訴える。
1桁少ない「企業ボランティア」
少ないのは企業ボランティアも同じだ。経団連の4月の発表では、ボランティア派遣など人的支援をした会員企業は20社。調査時期は異なるが、東日本大震災の259社より1桁少ない。
東日本大震災で被災し、現在は石川県志賀町で町外避難者も含めたコミュニティー再生に向けた支援に取り組んでいる宮城大の阿部晃成特任助教は「東日本のときは、例えば被災者が『祭りを復活させたい』とつぶやくと、たくさんの企業ボランティアが集まり、あれよあれよという間に実現できたが、能登半島地震では聞いてくれる人すらいない」と顔を曇らせる。
阿部さんによると専門知識を生かす「プロボノ」と呼ばれるボランティアも少ないが、13年前と異なるプラスの面もある。コロナ禍を経てテレワークが広く認知され、現地に行かずに協力できる仕事が増えたことだ。筆者も阿部さんからコミュニティーペーパー作りへの協力を求められ、快諾した。
ボランティアはまだまだ必要とされている。いつどこで災害が起こるか分からない日本。一時あった自粛論は忘れ、難しく考えずに「お互い様」の精神で参加してみてはどうだろうか。【山越峰一郎】
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。