西岡由紀夫さん=広島県呉市で2024年5月14日午後4時45分、安徳祐撮影

 日本製鉄瀬戸内製鉄所呉地区(広島県呉市)の跡地に防衛省が「複合防衛拠点」を整備する計画に反対する市民団体「日鉄呉跡地問題を考える会」が4月に結成された。共同代表に就いた西岡由紀夫さん(68)は高校教師時代から15年以上、反戦活動を続けてきた。根底には自身が「加害と被害の下で生まれた」との思いがある。

 母絹子さんは爆心地の南約2・6キロの広島市皆実町(現南区)で被爆。建物の中で全身にガラス片を浴びた。一緒に風呂に入った際、「(母の)胸から腕にかけてたくさんの小さなきっぽ(傷痕)があった」と振り返る。

 父一郎さんは戦時中、陸軍第5師団歩兵第231連隊の兵士として中国に出兵。大酒飲みで53歳の若さで亡くなった。「戦争トラウマを忘れるためにお酒をよく飲んでいたのかな」と思いやる。

 県立高校の教員の傍ら、自衛隊や米軍の監視を続ける市民団体「ピースリンク広島・呉・岩国」のメンバーとして反戦活動を続けてきた。2009年3月、東アフリカ・ソマリア沖の海賊対策のため護衛艦2隻が海上自衛隊呉基地から派遣された際もゴムボートに乗り、抗議の声を上げた。

 あれから15年。日本の安全保障は姿を変えた。「(集団的自衛権行使を容認した15年成立の)安保関連法以降、日本と米軍が一体化している」。日鉄跡地の防衛拠点計画もその一つと感じ、メンバーらとJR呉駅前などで署名運動や街頭運動をしている。

 1950年施行の旧軍港市転換法は、呉市にも適用された。軍事施設を平和のために活用する趣旨の特別法で「まさに平和理念そのもの」と評価する。

 今回の跡地活用に国が関わることに地元では歓迎ムードもあるが、「仕事があれば軍需でも構わないと思う人がいる」と危惧する。「軍港だった呉は空襲を受け、民間人約2000人以上が犠牲になった。同じ歴史を繰り返さず、戦争に加担しない土地として活用してほしい」と訴える。【安徳祐】

西岡由紀夫さん

 呉市在住。立教大卒。1983年から2016年まで県立高校の教員として勤務した。

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