中東ドバイの日本料理店8店舗で腕を振るい、300人のスタッフを束ねる「ウチナー料理人」がいる。嘉手納町出身の城間俊さん(38)は18歳で料理の世界に入り、海外の飲食店を渡り歩いてきた。この20年間、精神面で支えてくれたのは遠く離れた沖縄でパーキンソン病を患いながらも応援してくれる母の平良郁子さん(70)だ。「母やお客さんをもっと喜ばせる料理人になりたい」との思いを強くしている。(社会部・末吉未空)

 城間さんが働く海沿いの「3Fils(スリーフィルズ)」はカジュアルな日本料理店。イスラム教を信仰する客が多いため、戒律に従ったハラル食材だけを料理に使う。

 アルコールは提供できず、日本料理に欠かせないしょうゆやみりんも使えない。現地で手に入る食材で代用しながら魚は週3日、東京や北海道から取り寄せ、現地と日本の食材を組み合わせて提供している。

 元々料理人を志していたわけではない。幼い頃から母と2人暮らし。母が働きっぱなしで留守番をしている間、寂しさを紛らわすかのように卵焼きやカレーライスを作っていた。

 嘉手納高校を卒業後、JR東日本に就職するも、仕事が合わず3カ月で退職。自分が好きなことは食べることだと思い直し、東京のすし屋で料理人生活をスタートさせた。

 沖縄に帰省した際、思いがけない出合いがあった。那覇市内のCDショップでレゲエの雑誌を立ち読みしていると、最後のページの広告に一瞬で心奪われた。「ジャマイカですし職人にならないか」。その場で電話し、半年後にはジャマイカですしを握っていた。

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