「日銀は今利上げすべきではない」  今月2日、石破茂首相が、日銀の植田和男総裁との会談後に発した言葉が市場を揺るがした。「利上げ容認派」とみられていた石破氏の豹変(ひょうへん)がサプライズとなったためだ。しかし、政治の「圧」を伴う発言は、歴史的教訓から生まれた「中央銀行の独立性」の原則を損なう危険性もはらむ。連綿と続く、「政治と日銀」の関係性を改めて考えた。(山田雄之、中川紘希)

◆逆「石破ショック」で株1000円上げ

 石破氏の発言が飛び出したのは2日夜。首相官邸で日本銀行の植田和男総裁と会談後、報道陣に「個人的には現在、追加の利上げをするような環境にあるとは考えていない」と利上げに慎重な姿勢を示した。

前週末比1900円以上もの下げ幅となった日経平均株価の終値を示すモニター=9月30日、名古屋市で

 これまで石破氏は安倍晋三元首相の経済政策「アベノミクス」の柱である異次元の金融緩和に否定的で、利上げ容認派とみられていた。そのため、総裁就任直後は株価が大幅下落する「石破ショック」を招いた。  そんな状況下での石破氏の「変節」に、市場は即座に反応した。当面利上げはないと判断され、3日の外国為替市場の円相場は、一時3円以上円安ドル高となり、日経平均株価の上げ幅も一時1000円を超えるなど急騰した。

◆経済関連のメモに付箋いっぱい

 なぜ石破氏は変節したのか。政治ジャーナリストの泉宏氏は「市場が石破氏の経済政策に抱いている懸念を払拭したかった。国民の最大の関心事は経済だ。『石破ショック』の不安を取り除かなければ、先の衆院選で命取りになるとの考えだ」と説く。

10月2日、日銀の植田総裁(左)との会談に臨む石破首相(布藤哲矢撮影)

 石破氏は8日の参院代表質問で、経済運営は「岸田内閣の取り組みを着実に引き継ぎ、発展、加速させていく」と丸のみの姿勢を示したが、泉氏は「苦手分野だからだ」と推察。会見などで経済系の質問が出ると、手元の答弁メモは付箋が多く張られ、プロンプター(原稿映写機)で原稿を読み上げているとして、「言い間違えないよう意識しており、自身の考えではないのだろう」とみる。

◆指図と見なされてもおかしくない

 その上で今回の発言について、泉氏は「総理が絶対にしてはいけない発言だった。一線を越えている」と断じる。どういうことか。

日本銀行本店

 日銀法3条は、日銀が行う金融政策の「自主性は尊重されなければならない」として「独立性」を定める。発言の前に「政府として指図する立場にない」と述べてはいたものの、金利を上げるのか、下げるのかは日銀の政策判断そのものだ。  明治安田総合研究所の小玉祐一氏は「日銀は『政府と意見の不一致だ』との批判を浴びたくない。あの発言で、10月中の利上げの可能性はかなり低くなった。指図と見なされてもおかしくなく、日銀法に抵触しかねない」と指摘。株価の乱高下も招いており、「発言の意味や影響に思いが及んでいなかったならば、石破氏の今後の経済政策のかじ取りには不安を感じる」と苦言を呈した。

◆「世界の常識」を知っているか疑念

 中央銀行の金融政策の独立性は、多くの先進国で認められている。米国では2019年、中央銀行に当たる連邦準備制度理事会(FRB)に利下げ要求を続けるトランプ大統領(当時)に対し、グリーンスパン氏ら歴代の議長4人が連名で「一部の政治家ではなく、国の最大の利益に基づいて判断を下せることが重要」との訴えを米紙に寄稿した。

FRB議長当時のグリーンスパン氏=2005年10月撮影

 小玉氏は中銀の独立性は「グローバルスタンダードだ」とし、「経済の知識や関心度に疑念を抱かせる情報を国内外に発信してしまった。石破氏本人にとって決してプラスではない」。  そもそもなぜ、中央銀行の独立性が大切なのか。

◆政府は目先の景気刺激策を求めがち

 「政府が金融政策に関わると最終的に国民の利益にならないというのは歴史的な人類の知恵だ」。日銀出身で、第一生命経済研究所の熊野英生氏はそう話す。  どの国の政治家も、目先の支持率や選挙のため景気を刺激する金融政策を進めがちだ。景気を冷やす利上げを嫌い、政策に口を挟んだ結果、バブルや過度な物価高を招いて、国民生活に悪影響を与えるという。

◆バブルの反省…独立性を明記したが

 象徴的なのは、日本のバブル経済の崩壊。戦後、大蔵省(現在の財務省)と日銀の出身者がほぼ交互に日銀総裁に就任し、金融政策には政府の意向が強く働いた。1980年代後半は、政府の圧力で利上げが遅れたため、株や不動産が実力以上につり上がり、バブル崩壊後の傷を深くした。

安倍首相に日銀・政府の共同声明を報告し、記者の質問に答える(左から)日銀の白川総裁、麻生財務相、甘利経済再生相(いずれも肩書は当時)=2013年、首相官邸で

 この反省から「日銀の独立性を高めるべきだ」との声が強まり、1998年に日銀法が改正され、「自主性(独立性)」が明記された。政治の介入余地を残す総裁の解任権もなくなった。

◆日銀法の条文をテコに圧力は続く

 ただ、日銀への政治圧力は続いた。日銀の最高意思決定機関のメンバーである審議委員を務めた野村総合研究所の木内登英(たかひで)氏は「自主性は時の政治姿勢に影響されてきた」と指摘する。  2008年のリーマン・ショック後には、大幅に金融緩和した欧米に比べて「日銀の緩和は足りない」と与野党の政治家から非難が相次いだ。民主党政権時代の2012年10月には、前原誠司経済財政担当相が日銀の会合に出席し、円高対策として外債購入という具体的な政策を求めたこともある。  政治家は「介入」の根拠に、日銀法4条の「常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない」という一文を挙げることが多い。それだけではない。日銀法改正後の利上げを巡る日銀の独自判断が「失敗」だったと考えていることも大きい。

◆リフレ派で固めた安倍・黒田体制

 日銀の速水優総裁は2000年8月、政府の反対を押し切りゼロ金利政策を解除した。福井俊彦総裁は2006年3月と7月、政府内に難色を示す意見がある中で、量的緩和とゼロ金利の解除にそれぞれ踏み切った。しかし、いずれも解除後、デフレに舞い戻った。木内氏は「世界情勢の影響が大きく、失敗だったとは言えない。ただ政治家が『日銀任せではいけない』と考える要因になった」とみる。

安倍政権の経済政策「アベノミクス」に歩調を合わせる形で黒田総裁による大規模緩和が始まった=2013年、国会

 安倍晋三首相は直接的、間接的に「圧」をかけた。日銀に独立性を担保する日銀法の改正をちらつかせ、首相就任後の2013年1月には、2%の物価目標を柱とする共同声明を、日銀の白川方明総裁と取り交わした。ニッセイ基礎研究所の上野剛志氏は「日銀に声明をのませ、政策の手足を縛った」と指摘する。  間接的には「人事権」を行使し、政権に考えの近い人材を日銀に送り込んだ。黒田東彦総裁をはじめ、審議委員も任期満了に合わせて(お金を大量に金融市場に流すことを重視する)リフレ派に置き換え、直接口出ししなくても意中の政策を進めやすい体制を築いた。上野氏は「安倍氏が日銀の独立性を侵害したかどうかには議論が分かれるが、安倍氏は日銀に強い影響力を及ぼした」と話す。

◆「異次元緩和」の後始末はどうなる

 岸田文雄前首相が任命した植田総裁は、マイナス金利を解除するなど、円安を加速させた異次元緩和の「後始末」を進める。今回、発言が物議を醸した石破氏はどう向き合うのか。  前出の木内氏は「石破氏は、アベノミクスの弊害を指摘しており日銀の正常化に反対ではないだろう」としつつ、こう危ぶむ。「首相になり他の政策方針も変化している。周りの意見に配慮する政権運営の中で、日銀への発言も出るかもしれない」

◆デスクメモ

 石破氏発言を擁護する向きもある。独立性と言っても何でも許されるわけではない。ただパーティーが盛り上がっている時に、パンチボウルを取り上げることが中央銀行の仕事とも言われる。いざその時に、周囲の圧に屈せず、根拠に基づいて冷静に仕事ができるか。そこが問われる。(岸) 

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