オフィスビルや老舗百貨店が並ぶ中に、江戸情緒が息づく日本橋。創業133年を迎える「ホテルかずさや」(中央区)は、江戸の伝統を受け継ぐ温かいもてなしで、国内外の宿泊客の心をつかんでいる。4代目社長の工藤哲夫さん(70)は「お客さまの満足と幸せ、社員の成長と喜びを通じて地域社会の繁栄に貢献したい」とさらなる進化を目指す。(市川千晴)

日本橋に根付いた経営について話す工藤哲夫さん。右は旅館時代から置かれていた石灯籠=東京都中央区日本橋本町で

◆初代は故郷の長野にちなんだ屋号にしようとしたけれど・・・

 創業は1891(明治24)年。東海道の起点で商業の中心地だった日本橋は、宿屋が集まり、養蚕業で財をなした初代工藤由郎が長野から上京、江戸時代から続くとされる「上総屋旅館」を買収した。  故郷の信州や信濃の名の付く屋号にしたかったが、既に同じ名前の宿屋があったため、元の屋号を引き継いだという。  試練もあった。初代は関東大震災、2代目は第二次世界大戦を経験した。3代目は、高度経済成長による地価の上昇で同業者が貸しビル業に転じる中、出張客の需要に応えるため1980年、当時珍しかったビジネスホテルに衣替えした。

ホテルかずさや外観=東京都中央区日本橋本町で

◆歴史や文化を重視 首都高地下化にも貢献

 93年、4代目に就任した哲夫さんは、日本橋の歴史や文化を重視した地域振興にも力を入れる。  ホテル前の通りは江戸時代に時を告げた「時の鐘」や、長崎のオランダ商館長が宿泊した「長崎屋跡」など史跡が並ぶ。  歴史を感じてほしいと、町会を通じて区に「時の鐘通り」と新たな名称を申請。40年度の完成を目指し、首都高の地下化工事が進む日本橋再生事業にも地域の一員として尽力した。

◆「地獄の苦しみ」コロナ禍でも老舗企業とコラボで挑戦

ホテルかずさやのエントランス=東京都中央区日本橋本町で

 だがリーマン・ショックや東日本大震災、コロナ禍が立ちはだかった。2020年東京五輪を見据えて、旧館と隣接する商業ビルを取得し、新築ホテルを開業した。外資系ホテルが進出する中、江戸時代から受け継ぐ粋な彩色を内装に取り入れ準備を進めていたが、人流が止まり、五輪は無観客開催に。「地獄の苦しみを味わった」と振り返る。  ただこの間も試行錯誤を続け、地元の老舗企業、かつお節専門店「にんべん」や山本海苔のり店とコラボメニューを開発。今や国内客やインバウンド(訪日客)の間で、評判となっている。  日本橋という変化の激しい地域で、時代の求める挑戦を続けてきた。「『心和む温かいおもてなし』をモットーに、お客さまに求められ、喜んでもらえるものを提供する。その覚悟を持ち続けたい」。苦難を乗り越え再認識した原点を、次の世代につなぐ。  

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