幕末、国を思う大勢の志士たちが敦賀で処刑され、地域の人たちは160年にわたって慰霊を続けてきました。福井の魅力を再発見する「小旅」では今回、その歴史をいまに伝える国指定の史跡を訪ねます。
毎年10月10日、敦賀市の松原神社では例大祭が行われます。
160年前、江戸時代の終わり頃、尊王攘夷を唱え挙兵したものの敦賀で降伏し処刑された、水戸藩の家老だった武田耕雲斎が率いた天狗党を慰霊するものです。その墓はいま、国の史跡に指定されています。
当時から続く敦賀市民の慰霊が縁で、敦賀市と天狗党の出身地・水戸市は姉妹都市提携を結び、例大祭には市長も参列しています。
水戸市の高橋靖市長は「今年で筑波山天狗党挙兵160年。長く敦賀市の皆さんが見守り、毎年例大祭を挙行してもらい感謝の気持ち。先人の行動があって敦賀市と水戸市の友好があるので大切にしたい」と話します。
敦賀市は、墓の前に天狗党が幽閉された鯡蔵(にしんぐら)を移築、復原しました。例大祭に合わせ、鯡蔵には天狗党ゆかりの品々が展示されました。
敦賀市教育委員会文化振興課の中野拓郎学芸員は「敦賀が(北前船交易で)北海道のものを仕入れるようになってきた頃に倉庫として造り、天狗党が収容された歴史が合わさっていまに残された」と経緯を説明します。
天狗党823人は、降伏した後、鯡蔵16棟に幽閉され、その後353人が処刑されました。刑罰史上、類を見ないほど多くの処刑だったと言います。
敦賀水戸烈士遺徳顕彰会の中瀬実名誉会長は「祖父が子供の頃に見たと言っていた。幕府軍が鯡蔵にいた人を何人かづつ(処刑のために)連れてきた。この辺の人は罪人と思っていなかったので、疑問視しながら見ていたそうだ」と話します。
ふるさとから遠く離れた地で命を落とした天狗党をかわいそうに思った敦賀市民は、直後から慰霊を続けてきました。そして、天狗党挙兵から160年の2024年、この地には歴史を解説する施設が整備され、後世に語り継がれます。
<武田耕雲斎等の墓と鯡蔵(水戸烈士記念館)>
場所:敦賀市松島町 ※北陸自動車道・敦賀ICから車で約13分
鄭重声明:本文の著作権は原作者に帰属します。記事の転載は情報の伝達のみを目的としており、投資の助言を構成するものではありません。もし侵害行為があれば、すぐにご連絡ください。修正または削除いたします。ありがとうございます。